言葉にならない。 終章 上編



 『なにもかもなかったことに』

 思い出した。
「おーい、大丈夫かー?」
 アルクェイドがなにか言っているが、なにを言っているかよくわからない。
 どうして俺は忘れていたのか。あれほどの出来事を、どうして、いつの間に、いつから?
 シキは俺が殺した。俺をシキが殺した。
 そこにはわかりやすい理由なんてなかった。殺すとか殺されるとか、そんな単純な言葉で表しきれるものなんてなにもなかった。
 どちらも納得づくでその運命を受け入れたのに、どちらもなにも納得できなかった。
 だから殺し合うしかなかった。俺たちが持っていた共通の基盤は、それしかなかったから。
 親友だと、思っていたんだ。いろいろ問題はあったかもしれないが、そんなに仲がよかったわけでもないが、それでも俺たちは親友だと、そう思っていた。
 いや……むしろ戦友だ。秋葉を守る戦士として、俺達は……
「人の話は聞きなさいっての」
 またアルクェイドに殴られた。痛い。
「お前っ……人の頭ぽんぽん殴るなよな!?」
 憮然としているアルクェイドにはそんな文句も通じない。怒りたいのは私のほうだとでも言いたげな顔をしていた。
「シエルになにされたんだか知らないけど、いきなりぼーっとしちゃって。あんた、ロアに関係あるんでしょ?」
「私はなにもしていませんが」
「混ぜっ返すな。どうでもいんだから」
 ぼーっとしていた、か。時間にして、どれぐらいそうしていたんだろうか。体感としては一日でも足りない程だが、実際にはただの記憶の再認だ。それほど時間がかかったとも思えない。
「俺は……どれぐらい……?」
「十分ぐらい。呼んでもうんともすんとも言わないし。そもそも名前知らないけど」
 十分も突っ立っていたのか。それを黙って(黙ってはいなかったようだが)待っていたアルクェイドとシエルは、いったいなんの目論見があるんだろうか。
 それにしても、まだ名乗っていなかったか。言われてみれば、アルクェイドとシエルの名前は、彼女らの会話の中で勝手に確認しただけのことで、教えてもらったわけではない。
「遠野志貴、高校三年、遠野家には養子として引き取られています。ただし、引き取られる前の経歴は一切不明、というよりは抹消された形跡があります。成績は平均値、運動能力も特筆するところはありませんが、こちらは意図的にセーブしているものと思われます。学校での評判は、落ち着いている、誰にでも優しい、女の子からの評価も悪くない。こんなところでしょうか」
 調べた……のか。しかも、学校での評判までとなると、徹底している。
 なるほど、これが教会という組織か。
「ふーん。志貴ってゆーんだ」
 どうでもよさそうに、アルクェイドはこちらをためつすがめつしている。
「遠野家には、もう一人子供がいました。遠野家の嫡子でしたが、廃嫡され、現在では一切の記録が抹消されています。出来うる限りのコネクションを利用しましたが、名前すら確認できませんでした。あまりにも入念な証拠隠滅からすると、存在自体を抹消しなければならない程の化物だったか、あるいは実際にはそのような子供は存在せず、まるで嫡子が存在していたかのように見せかけていたのかのどちらかでしょう」
 シキは、そこまで完璧に消されてしまったのか。まるで存在していなかったかのように。
 それでも俺は、シキを知っている。シキという男を知っている。
 シキという男の死を知っている。
 だけどそれは……記録がないということは、本当にシキが存在していのかどうかもわからないということだ。死を確認することもできないということは、シキが本当に生きていたのかどうか、死んだのかどうかもわからないということだ。
 俺はシキを知っているから、そんなことはないと言える。だが、シキを知らなければ、シエルのように、その存在そのものを疑うことになる。
 それが当たり前だというのなら、ではなにが生きているということになるんだろうか。
『いずれはみんな死んで、なかったことになる』
 シキの言葉が蘇る。お前は本当に、なかったことになってしまった。
 シキの記録が抹消された原因は、遠野家の当主、俺にしてみれば義父であり、秋葉の実父である遠野槙久を殺したからだろうか。
 しかし、シキが廃嫡されたのはそれよりもずっと前だ。秋葉が物心ついたかつかなかった頃に、シキはさっさと廃嫡され、秋葉が後継者となった。
 でも、だとしたら、いったい誰がそれを指示した?
「順当に考えれば、ロアが転生しているのは、遠野志貴か遠野秋葉のどちらかです。しかしいまの状況からすると、存在しないはずの三人目がロアの転生体なんでしょうね」
「……そもそも、そのロアってのはなんなんだ?」
 さっきも出てきた名前だが、まったく心当たりがない。それが転生だかなんだかして、遠野家に寄生しているという状況もよくわからない。
 ロアというのが何者なのかわかれば、なにかがわかる。そんな気がした。
 例えば……シキが狂った理由だとか。
「死徒です。死徒というのは、平たく言えば吸血鬼に血を吸われた人間です。吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になるという伝承の通り、血を吸われた人間は吸血鬼になります。ただし、この時点では屍食鬼、グールと呼ばれ存在です。グールの中でも極一部の存在だけが、血を吸った吸血鬼の影響を受けない存在になります。これが死徒です」
「……上等な吸血鬼ってこと?」
「……まあ、そう捉えていただいても間違いではないと思います」
 噛み砕いて理解しようとしただけなのに、シエルには呆れられてしまったようだ。いくら化物と縁があったとはいえ、化物全般に詳しいわけじゃない。せいぜい、シエルが嘘をついていないということがわかる程度だ。
「死徒は、親となる吸血鬼、これは真祖であったりやはり死徒であったり、さまざまですが、これの影響を受けません。普通、グールは吸血鬼の命令を実行するだけの傀儡ですが、死徒は自分の意志で行動し、親である吸血鬼を殺して独立することも珍しくありません」
「あー……まあ、死徒のことはなんとなくわかった。ような気がする。それで? そのロアってのは?」
 詳しく聞いた所で混乱するだけだと割り切って、話を切り上げることにした。シエルにしても、用語解説がしたいわけじゃないだろうし。
「ロアは、真祖の中でも最強と呼ばれた吸血鬼の血を請けた死徒です。転生を自在に操ることを目的としていました。メカニズムに関しては端折りますが、事前に準備しておけば、肉体の死の際に次に自分が生まれる体を作っておくことができます」
「えらそーに言ってるけどね。シエルは、そやってロアに転生された奴。元々が死徒になれる素質があったもんだから、私にロアごと殺されても、死に切れなかったの。で、いまでも死ねないでいるの。殺しても死なないって意味、わかった?」
 意味……はわかったが、原理はわからない。なぜそれをアルクェイドが語るのかもわからないし、シエルがどうして悲しそうなのかもわからない。
 この二人の関係は、そこを起点にしている。それはわかった。それ以上がわかる必要があるとは思えなかった。
 俺にしてみれば、それは無関係な事柄だ。例えシキにロアが取り憑いていたのだとしても、その過去にまで意味があるとは思えない。
 ロアというのがどういうやつなのか、なにを目的としているのか、それがわかれば十分だ。
「なんだってロアはそんなことを?」
「……死なないんですよ? 何度でも生まれ変わって、新しい自分になって、永遠に生き続けることができるんです。ロアは永遠を希求し、そのために死徒になりました。人間なら誰でも、永遠の命が欲しいのでは?」
 それを、死なないシエルが語ることに違和感を感じないでもなかったが、それは追求せずに首を振った。
 俺はそんなものが欲しいとは思わない。
「それは、ただ永遠に生きるってことだろ? あんたみたいな教会の人間に追われて、時には殺されて、また生まれて、また殺され続けるってことだろ? ……そんなののなにが嬉しいんだ?」
 人間なんて、一度死んで終わるぐらいがちょうどいい。何度も生まれて何度も死ぬだなんて、正気でいられるとは思えない。
 俺は一度死んだだけで気が狂いそうになった。実際に狂ってしまった。生き返ってしまったのは、そのせいとも言える。
 生き返るだなんて、もう二度とゴメンだ。あんなに苦しい思いをするぐらいなら、死んだままでいるほうがずっといい。
「それでも死にたくないと思うものではないですか? あなたは少し違うようですが、普通の人間には、死というものがなんなのかもわからないでしょう?」
 死がわからないから怖い、か。それは筋が通っているが、かえってロアの印象をちぐはぐにする。
 ただ死にたくないという思いだけで、そう何度も生まれ変わることができるだろうか。それに、実際には死なないわけでもない。死んでも死なないだけであって、永遠に生きることはできていても、死なないでいられるわけではない。
 何度でも死んでいるのなら、死にたくないなんて嘘っぱちじゃないか。
「ロアってのは、そんなに普通の奴なのか? 死にたくない奴が、死を賭けてまでなれるかどうかわからない死徒になって、何回も殺されて生き返って、それでもまだ生き続けてるんだろ? よくは知らないけど、死徒になるだけが本当に永遠の命を得る方法なのか?」
 死にたくないのであれば、別の方法を模索するはずだ。そんな動機で選べるほど、転生という行為は簡単ではないように思う。
「つまり……ロアが死徒になったのには、別の目的があったと?」
「心当たりがあるわけじゃないけど。しっくりこないってだけだし」
「ああ……じゃあきっとアレかな。ロアのやつ、私のこと好きだったのかな」
 そう言って微笑んだアルクェイドは、なんとも言えない表情だった。
 笑うしかないから笑っているような。笑わなければならないから笑っているような。
 苦しくて、辛くて、悲しくて、ただ泣きたくて、でも泣けないから笑っている。そんな笑顔。
「ロアの血を吸ったあなたをですか?」
 シエルはびっくりしているようだ。まさかそんな、とでも言いたげである。
 それよりもなによりも。ロアの血を、アルクェイドが吸った?
 ロアとなったシエルをアルクェイドが殺した、と言っていた。自分が血を吸った相手を、なぜ殺さなければならないのか?
「ロアはわざと私に血を吸わせたからね。私は単純に、ロアが永遠の命が欲しくてそうしたんだと思ってたけど……でも、そうだよね。そのほうが自然だよね。私はスレイヤーで、ロアは死徒。私は吸血鬼殺しの吸血鬼で、ロアは吸血鬼。……そうなっちゃったらもう、追うしかなかったからね」
 アルクェイドが最強の吸血鬼だと言うのなら、その力を利用するためにアルクェイドに血を吸わせたというのも一つの解釈だ。それは間違いではないかもしれない。
 それでも、ロアの目的が転生にあったというのなら、永遠に生きることを望んでいたのなら、なにも吸血鬼になる必要はないんじゃないだろうか。
 永遠に生きるために、永遠の狩人を欲していた。生きる目的をそこに設定することにより、永遠に生きようとした。
 ただ生きることができるのなら、吸血鬼になる必要なんてない。ただ生きることができなかったから、吸血鬼になってまで、生きるための目的を作ろうとした。
 ……いや、それは結果論か。アルクェイドと関わりを持つために、死徒となり、追われる身となった。そういう形でしか吸血鬼と関わる方法を見出せなかった。そのぐらいがちょうどいいだろう。
 そのぐらい悲劇的なほうが、救いがある。
 例えばロアが、やはり永遠の命が欲しかっただけなら、それはただの残酷な物語だ。命をなんとも思わない化物が、何度殺しても死なない化物が、シキの体に転生し、秋葉を殺したというのであれば、誰も救われない。救われようがない。
 だから、どうせなら、ロアは哀れな存在であったほうがいい。吸血鬼に恋をして、それを素直に表現できなかった哀れな存在であったほうがいい。実利主義的な関係だけでは、殺伐としすぎている。
 アルクェイドもそう思ったのかどうかは知らないが、笑うしかなかったというのは、それに近いなにかがあったからじゃないだろうか。
「バカだなあ。アイツも、アイツに騙された私も。……シエルには悪いけど、さ」
「……過去のこと、ですから。あなたが悪いとは思っていません」
 ロアに騙されてロアの血を吸ったアルクェイド。その結果(かどうかはわからないが)、ロアは転生の術を得て、シエルに転生することになった。
 そしてシエルは、アルクェイドに殺され、それでも死ななかった。
 転生というのがどういうものなのか、ようやく気になり始めた。
「なんか質問ばっかりで悪いんだけどさ。転生って? ロアって奴の魂? かなんかわかんないけど、そういうものが次の肉体に移る、ってことなんだろ? じゃあ、その肉体の元の魂……本来の魂ってのは、どうなるんだ?」
 目の前に実例があるんだから、聞いても栓なき事かもしれない。
 ロアは殺されても、シエルは生きている。ということであれば、魂は混ざらない。ロアはロアとして独立していて、シエルはシエルとして独立していた。だからこそ、ロアが死んでもシエルが生きている、ということになるんだろう。
 ただ、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。
「ロアに転生された体ってのは……ロアの影響を受けるものなのか?」
 受けないはずがない、というのが確信だった。そうであって欲しい、というのが願望だった。
 もしそうだったなら。シキはロアの影響を受けて狂ったのかもしれない。その結果、親父を殺し、秋葉を殺したのかもしれない。
 それなら、俺はロアを憎めばそれで済む。例えロアを殺すことがシキを殺すことになるのだとしても、ロアを殺すことができれば、それでいい。
 前提として、シキは生きていなければならないが。
 自分で殺しておきながら、俺はまだシキが生きているんじゃないだろうかと考え始めていた。
「影響、というのとは少し違います。ロアに転生されると、ロアになっていくんです。ただしこれも正確ではありません。ロアもまた、転生先の肉体……といえばいいのか、魂といえばいいのか、はっきりとはわかりませんが……の影響を受けます。この影響はそれほど大きなものにはなりません。最終的には、ロアの意志がベースとなった肉体の魂を凌駕し、食い尽くします。この時点で、ロアは転生前の能力と記憶に、転生先の肉体が持っていた能力を取り込むことができます。もっとも、転生で維持できるのは、ロア本来の能力と記憶だけのようですが」
 転生するために転生しているようなもんだな、と思った。やっぱりロアは、うまくない。
 永遠の命なんてものを望む奴がそうそうまともだとも思わないが、ここまでヘタだと哀れみすら覚える。
 生きるのがヘタな奴が、どうして永遠の命なんて望んでしまったんだろうか。
 そんなことだから、他人に迷惑をかけずにはいられないのだ。俺だって、こんなことさえなければロアなんてものを知ることもなく、殺すこともなかったのに。
 しょうがない。こうなったら、殺すしかない。
「整理させてくれ。ロアって吸血鬼がいて、いまはシキに転生していて、シキを狂わせて、いまではロアになっちまってる、って理解でいいのかな?」
「三人目はシキ、と言うんですか? その少年が遠野家の血を引き、人外の力を持つ存在であるなら、その確率は非常に高いです」
 三人目、じゃない。シキこそが一人目だ。
 それこそ、シキにロアが転生していたというのなら……シキこそが始まりであり、シキこそが終わりなんだろう。
 なにが始まって、なにが終わるのかは知らないが。それの先にはなにもないだろうということだけはわかった。
 こんな虚しいもののために秋葉が死んだというのなら……俺はなにを恨んで生きていけばいいんだろうか。
「よく調べてるんだな。もう一人の教会の奴は、そこまで知らなかったみたいだけど」
 なんとなく途方に暮れながら、適当に思いついたことを言う。ロアを殺すのはいいとして、それも特に目的になりえていないことを自覚しながら。
 秋葉がいない。ロアを殺しても生き返らない。憎しみもなにもなく、虚しさしか感じられない。
 せめて、狂おしい程の殺意が欲しかった。
「もう一人……? 誰のことですか?」
 シエルは怪訝な顔をしていた。自分はそんなにおかしなことを言っただろうか。
「もう一人いるだろ? 秋葉が死んだ時、俺はそいつから教会とか吸血鬼とか、その辺の話を聞いたけど?」
「私は単独行動です。もう一人なんていません。……もう一度聞きます。それは誰のことですか?」
 違う? あれは、教会の人間じゃない?
 じゃあ誰なんだ? あの来訪者は、なぜ教会のことを、吸血鬼のことを知っていて、それをわざわざ俺に教えたんだ?
 そんなことをしてなんの意味が?
「おかしいな。あんたと似た格好してたし、仲間だと思ったんだけど」
「……顔を隠していませんでしたか?」
「んー? まあ、確かにフードはかぶってたけど。隠してる、ってほどでも……」
 なかっただろうか? 本当に?
 正直、あの時は、なにもかもどうでもいいと思っていた。だからこそ来訪者の胡散臭い説明を聞いたし、信じたんだろうと思う。
 いま改めて思い出そうとしてみると、顔が思い出せないことに気づいた。
 これじゃあまるで、記憶の中のシキのようだ。
 まるでそこだけ切り抜かれたような、不自然な記憶。
「あなたは記憶を封印されている、と先ほど言いましたが、どうやら、その教会の者を名乗る何者かに操作されているようですね。解除しましょうか?」
「そんなことができるのか?」
「いじられているだけなら、可能です。なくなっているわけではありませんから」
 理屈はわからないが、出来ると言うからには出来るんだろう。そういう意味のない嘘をつくタイプにも、いらない虚栄を張るタイプにも見えない。
 俺は黙って頷いた。胸騒ぎを覚えながら。
「あなたも同じことを考えているかもしれませんが、もしそうであるなら、解除はそう難しくはありません」
 シエルも、同じことを疑っている、ということか。
 ロアが、シキが、俺を騙し、外にいる吸血鬼に意識を向けさせ、アルクェイドと戦うように仕組んだ、と。
 しかしそれでは、答えが足りない。
 俺がアルクェイドと戦ったところで、ロアになんのメリットがある?
 ロアはアルクェイドに追われたいのに、アルクェイドと俺を戦わせるのでは意味がない。
 では前提が間違っているのだろうか。ロアにはなにか別の目的があるんだろうか。
 いまここで考えてもわかりはしない。それだけはわかった。
「目を閉じて、深呼吸してください。術の解除は一瞬ですが、記憶が溢れ出すことになるので、先ほど同様、意識が飛ぶと思いますが、心を強く保っていれば大丈夫です」
 言いながらシエルは、手を伸ばし、俺の頭を鷲掴みにした。
 一瞬、その手が灼熱したかのように熱くなり、俺の意識は再び過去に飛んだ。

「志貴さん……その……」
 琥珀さんが部屋に来た。
 扉を潜った琥珀さんの顔が引き攣ったのは、部屋が散らかっていたからだろう。
 いや、散らかっている、なんてレベルじゃない。無事なもののほうが少ないほど切り刻まれている。
 人が住む所には見えないだろう。自分でやったことなんだから、だからどうとも思わないが。
「ああ、ごめん。散らかってるけど、気にしないで」
 唯一無事な椅子に座り、脱力したまま琥珀さんを迎える。
 壊している最中は気分がよかった。終わってしまった今、なにもする気になれないでいる。
「はあ……」
 眉をひそめたものの、とりあえず無視することにしたらしく、琥珀さんは危なっかしい足取りで散乱するゴミを避け、近くまでやってきたが、近づきすぎはせずに足を止めて、困った顔のまま沈黙した。
「どうかした?」
 どことなく怯えているようだが、なにかあったんだろうか。
 ……まあ、この部屋の様子を見れば、誰でも警戒するか。
 俺にしてみれば、当たり前の八つ当たりにすぎない。こんなことをしたところで、なにも変わらないことはわかっている。それでも八つ当たりせずにはいられない……ただそれだけの幼稚さだということもわかっている。
 だからこそ、琥珀さんに危害を加えるようなことはしない。物が壊れたところでどうということもないが、人は死んだら生き返らない。それぐらいの分別はある。
 それこそが八つ当たりの原因なのだから。
「お客さまがいらしてるんですが、その……どうしますか?」
 まともな接客ができるんだろうか? という疑念だろう。
 俺もできるとは思えない。というよりは……する気もない。
 どうでもいいの一言に尽きた。
 秋葉が死んだ以上、この屋敷には価値なんてない。遠野家の家督を巡って親戚連中が騒ぎ出すだろうが、そんなものは知ったこっちゃない。
 俺は最初から、相続権を放棄させられている。秋葉のことだから、遺書ぐらいは残しているんだろうが、それもどこまで守られるか。
 これからのこの屋敷は、文字通り化物の棲家になるんだろう。それだけはなんとしても避けなければならない。
 秋葉との思い出が残るこの屋敷を、連中の好きにはさせない。
「誰? ていうか、俺の客?」
 来客とやらが、親戚連中の誰かだったら、思わず殺してしまいそうだ。
「志貴さんの、というよりは、秋葉様の代理人の、でしょうか。なんでも、その……秋葉様の死因に関して、お話があるんだとか」
 秋葉の、死因。その言葉に苛立ちを覚える。表情に出てしまったのか、琥珀さんが怯えた顔であとずさる。
 歯止めが効かないというのはこういうことかもしれない。秋葉がいない以上、俺が殺人鬼である理由もないが、秋葉がいない以上、俺を止められる者は存在しない。
 だけど、そう……琥珀さんは、秋葉のものだ。俺が勝手に殺していい人じゃない。
 俺が殺していいのは……いいのは? 誰だっけ?
「ふうん……まあ、いいや。会うよ」
 椅子から立ち上がる。
 眩暈がした。
「だ、大丈夫ですか?」
 実際にはかなり疲れていたらしい。そういえばここのところ、秋葉の看病でまともに眠っていなかった。
 慌てて琥珀さんが支えてくれる。
 既視感。
「……俺はあなたを殺したはずだ」
「えっ……?」
 自分で言っておきながら、なにをバカなと否定する。もし殺していたとしたら、いまここにいるはずがない。
 でも、俺が人殺しなのは事実だ。誰かはわからないが、俺は誰かを殺したことがある。
「なんでもない。応接室にいるのかな?」
「あ、はい、そうです。応接室でお待ちになっています」
 誰がどこでお待ちになっているのかはどうでもいいが、もしつまらない内容だったら、とりあえず……
 八つ当たりしてやろうか。

 客、とやらは、応接室のソファーに腰を降ろし、時代外れというよりは時代錯誤な、フード付きの全身を覆うマントで身を固めていた。なにかを隠しているな、と直感する。
「お待たせしました。秋葉の兄です。秋葉に関して、なにかお話があるとか?」
 至って普通に挨拶し、客の向かいに腰を降ろす。こういう場合の挨拶の仕方やらは、遠野家の一員として無理矢理似叩きこまれた。無理矢理だったせいで、あまり身についてはいないが。
「はい。妹君の死因に関して、重大なご相談が」
 客は、フードを外しながら、そう切り出した。
 フードを外した瞬間、その目が光り、一瞬、意識が飛ぶ。
 この瞬間か。出会ってすぐに、記憶操作を受けていたのか。道理で、顔もなにも覚えていないわけだ。
 思い出したその顔は、俺とはどこも似ていなかった。それでも、それがシキなんだということはわかった。
 いや、嫌味な嘲笑を唇の端に貼り付けたようなその顔は、シキではなく、ロアのものだろう。体はシキかもしれないが、中身はロアだ。
 シキはそんな笑い方はしなかった。あいつはいつだって……
「吸血鬼、という存在をご存知でしょうか?」
「知らない、わけでもないですが……ホラーでしょう?」
 自分は化物退治のエキスパートだというのに、白々しく答える。
 それを知ってか知らずか、客……いや、ロアは、薄気味の悪い笑みを深くする。
「いいえ。現実に存在する化物です。それは強く、賢く、凶暴で、残忍な存在です。妹君はそれに襲われ、失血、結果的には衰弱死しました。吸血鬼の血は……」
「少し、待ってください」
 シキの顔に関してはフィルタはかかっているが、思考に関しては意外なほどクリアだ。いや、クリアというよりは、雑念がフィルタされている。
 殺すことだけを考えるように操作されている。しかし、退魔の一族ゆえか、遠野家で施された訓練ゆえかはわからないが、殺すことを考える俺と、それ以外のことを考える俺は、普段からある程度分離している。
 精神操作に対しても一定以上の耐性が出来ている影響もあってか、思考は操作の影響をあまり受けていない。
 元より、殺人鬼を受け持っている志貴は、それほど強くはない。
「吸血鬼が存在する、ということですか?」
「はい。残念ながら、いまここで証明することはできませんが。それは存在し、それは君臨し、それは支配しています。異種の化物の中でも上位に属し、人を消化することに特化しているかの如く、人に紛れ、人を食らうことに長けています。人は彼らの前ではただの餌に過ぎず、抵抗することもかないません」
 話を聞いていた時は違和感すら薄かったが、改めて聞いてみれば無茶苦茶だ。なにを根拠に語っているのかすらはっきりしない上に、そもそも自分が何者なのかすら語っていない。
 なるほど、どういう原理かはわからないが、便利な能力である。秋葉を殺しておきながら、俺の前で訥々とそれを語るとは。
 こういう奴なら、殺してもいいだろう。いや、殺さずにはおかない。
 死よりもなお冒涜的な存在なら、殺したってかまいやしない。
 これで復讐ができる。記憶の中の俺も、理由こそ違うものの、同じことを考えていた。
「だが、秋葉は……いや、秋葉も、そうして襲われた、と?」
 秋葉もまた化物だったというのに、吸血鬼如きに唯々諾々と血を吸われたというのだろうか。
 それはおかしい。それは筋が通らない。秋葉は確かに人も化物も殺せないが、その能力は遠野家の中でも随一だ。それこそ、シキを廃嫡した理由もそれなのではないかと思うほど、秋葉の能力はずば抜けて強力だった。
 殺せなくとも、身を守るのになんの躊躇いがあるだろうか。
 秋葉が血を吸われたのは、相手が吸血鬼だったからなどという単純な理由ではない。
「いまこの街で起こっている、吸血殺人、と呼ばれている一連の殺人事件はご存知ですか?」
「新聞情報レベルでなら」
「アレはまさしく、コレなのです。吸血鬼に血を吸われ、吸血鬼となった者が起こした事件です。妹君が、そういった下僕に襲われたのか、大本の吸血鬼に襲われたのかまではわかりませんが……」
「……あなたはなぜ、そんなことを?」
 ようやく、ロアに対して不信を覚えた。……だが実際には、不信などではない。
 ただ、どうしてこんなにも親切にしてくれるのか、と思っただけだ。面識もなにもないのに、こんなことをしてなんの得があるのかと、ふと疑問に思っただけである。
 なにか目論見があるんだろう、とまでは考えていない。世の中には善人がいるもんだな、程度にしか思っていなかった。
 しっかりと思考まで影響を受けている。不信に思うことを一切除外されるように。
 いや、ロアのその顔に関するフィルタと同レベルの操作か。それを不信に思わない以上、ある程度ロア本人に対する不信も消えていなければならないだろう。
 都合のいい操作だな、と考える。それがロアの能力だ、と言われればそれまでだが、ここまで自分に都合よく事が運べるのだから、アルクェイドが騙されて血を吸ったというのも納得が行く。
 真実の大部分を語りながら、核心となる部分のみぼやけさせる。選択肢を狭めるために状況説明を行い、自分の意図を示さないようにしながらも、説明自体にバイアスをかけている。
 少しだけ、アルクェイドに同情した。こんな奴に騙されだなら、騙される奴が悪いとは言い切れない。
「私は、教会という組織に所属しています。吸血鬼のような化物を退治することを目的としている組織です。言ってみれば、これが私の仕事です」
「それを、俺に教える意味は?」
 そんなことをする必要はない。吸血鬼の被害者を訪れて、わざわざ人外の存在の説明をするなど常軌を逸している。
 それは秘匿されるべきものなのだ。そして秘匿され続けてきている。それを打ち明ける資格があるとすれば。
「あなたは退魔の一族の御曹司ではないですか」
 記録に残っているはずのないそれは、シキの記憶だ。ロアのものであるはずがない。
 シキは……シキは本当に、ロアに食われてしまったのか。
 記憶を奪われ、体を奪われ、記録を消され、なにもかもなかったことになって。
 お前はそんなものになるために親父を殺し、秋葉を殺そうとしたのか?
 そしてお前が殺し損ねた秋葉を、ロアが殺しただなんて。
 悪意に満ちた冗談にしか見えない。誰もがよってたかってお前を道化にしようと企んでいる。
 できることなら、問い掛けたい。お前はそれでいいのか、と。
「……それも調べたんですか?」
「失礼ながら、調べさせていただきました。妹君に関しても」
「ふうん……まあ、いいけど」
 結論を急ごうとしている自分がいる。
 居心地の悪さ? より強調すれば、気持ちの悪さだ。
 ロアに対して感じる強烈な違和感。
 その説明が滑らかであればあるほど、不気味さが増す。
 底知れない薄気味の悪さ。吸血鬼がどうこうという話も、これがあったからこそ信じられたんだと思うほどの。
 そして、重要なのはこの後だ。
「つまり、俺に吸血鬼を始末しろ、と?」
「はい。なにしろ、この街に現れた吸血鬼は、私の手に負える相手ではありませんので」
「なるほど。それで俺のところに来たんですか」
「そうなります」
 抜け抜けと。お前がその吸血鬼だろうが。
 だが、それが事実である保証はない。アルクェイドとシエルが正しければ、ロアの言っていることは嘘になるが、アルクェイドとシエルが嘘をついていたなら、ロアの言っていることこそが正しいことになる。
 では、なにをもってして、どちらを信じるのか、ということになるわけだが。
 ロアを信じるぐらいなら、アルクェイドに騙されたほうがいい。ロアに騙されるなら、アルクェイドを信じたほうがいい。
 アルクェイドを信じるというよりは、ロアを信じない、ということだ。こいつを信じるぐらいなら、血が嫌いだという吸血鬼を信じたほうがマシだ。
「まあ、いいです。じゃあ、俺はその吸血鬼とやらを始末しましょう。それで? あなたは? 俺に始末させて終わりですか?」
「これは手厳しい。ですが、そうですね。確かにこれでは、私ばかりが得をしてしまう。……では、こうしましょう」
 そしてロアは、こう約束した。

 私は、妹君が吸血鬼として復活しないようにします、と。

「ロアって奴は……そもそも、死徒になる前は何者だったんだ?」
 なぜ、教会のことを知っていたのか。
 なぜ、アルクェイドのことを知っていたのか。
 なぜ、転生してまで永遠の命を手に入れようとしたのか。
「ロアは元は教会の司祭でした」
 唐突な質問にも、シエルは淀みなく答える。
「埋葬機関に所属する高位の聖職者でしたが、アルクェイドに血を吸われ、死徒になりました。これが八百年ほど前のことです。それからは転生を繰り返し、今回で十八回目の転生になります。その前、死徒になる前の情報は、まったくといっていいほど記録されていません。しかし、吸血鬼研究の過程で永遠の命に関するノウハウを身につけたのは間違いないと思われます」
 吸血鬼こそが永遠の命を持つものだから、か。
 それに対抗するための技術を追求していたはずなのに、逆にそれの持つ魅力に取り込まれ、それを望むようになった。
 典型的なオカルティストだった、ということか。魔道の持つ魅力に取り付かれ、それを希求し、果ては身を滅ぼす。ロアの場合は、それが死徒になるということであり、人間ではなくなる、という結末だったわけだ。
 わかりやすい。そうしてアルクェイドに血を吸われたというのなら、アルクェイドでなければならなかった理由も、当然あるんだろう。
 ただ死徒になるだけなら、アルクェイドほど強力な吸血鬼を選ぶ理由はない。むしろ自らが御しうる範囲の吸血鬼を利用するべきだ。高位の聖職者だったというのなら、なおの事、吸血鬼を選ぶことはできたはずだ。
 目的と手段を違えることはなかった、そこまではいいだろう。目的の変質はよくあることだ。どちらにしろ、その目的も手段も認められないというだけで。
 いや、そんなことはどうでもいいことだ。
「吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になるんだよな?」
「そうです。より正確には、吸血鬼に血を吸われただけのものはグールに、吸血鬼に血を吸われた後、吸血鬼の血を請けたものが死徒になります。血を吸われただけで死徒化するものもいますが、こちらは親の影響を影響をあまり受けません」
「親? ……血を吸った吸血鬼のことか?」
「そうです。吸血鬼には親子関係が存在します。人間のそれとは似て非なるものですが、血を吸ったものが親となり、血を吸われたものが子となります。ただしこれは命令権のピラミッド構造です。上位のもの、血の根源に近くなればなるほど、命令権は強くなります。親の親は、親よりも強い命令権を持っている、ということです」
「じゃあ、アルクェイドはなんでロアに命令しないんだ?」
「バッカねー。死徒として独立しちゃったら、親の命令権は弱くなるって言ったばっかりでしょ? ロアはもうそういうものになっちゃってるから、私の命令も効かないの」
「ただし、吸血鬼の親子関係には類感関係があります。血の授受によって、親は子の状態をある程度知ることができるようになります。これは命令権とはまた別の能力、というよりは、自分の血がどこにあるのかを知る、吸血鬼らしい特徴です。その辺はどうなんですか?」
「んー、そりゃー私もその辺は気にしてるけどねー。ロアのやつ、何代か前からもうそこにもフィルタかけててねー。最近じゃ見つけられないのよ、正直」
 だから探してるんだけど、と締めくくって、アルクェイドは情けなく笑った。
「じゃあ、吸血鬼に血を吸われたやつが吸血鬼にならないで済む方法、ってのは?」
「ありません」
 きっぱりとシエルは断言する。
「吸血鬼化というのは、能力ではなく呪いです。血液を媒体に感染するそれは、呪われた存在、すなわち吸血鬼本人には制御不可能なものです」
「じゃあ……ロアにも、秋葉を吸血鬼にさせない、なんてことは不可能だ……ってことだよな?」
「そうなります」
 じゃあ、ロアは、なにもかも嘘をついていた、ということか。
 気づかなかった自分も間抜けだが、何一つ守る気もなかった、ということか。
 だからどう、ということもないが……
 秋葉を化物に変えたというのなら、それは少し、殺意を掻き立てる。
「……あんた、どうしてこんなこと教えてくれるんだ?」
 疑った、わけでもないが。
 メリットが見えなかった。ロアと一緒だ。シエルにしろ、アルクェイドにしろ、俺にいろいろと教えてくれる理由はない。
 そして、それが正しいという理由もない。
「聞かれたからです」
 シエルは至って真面目に、答えとも思えない答えを吐いた。
「あ、もしかして疑ってる? 私たちのこと」
「一緒にしないでください。迷惑です」
「あんたも頑なだよねえ」
「あなたが大雑把すぎるんです」
「そうかなあ」
「そうです」
 傍目には笑えない漫才にしか見えないが、これでこの二人は敵同士だというのだからわけがわからない。
 ただ目的が一致している、というだけなのかもしれないけれど。不思議な二人だ。
「疑ってるってよりは……初対面だしな」
「初対面で殺そうとしたくせに」
 う、とうめいて、沈黙する。それは確かに、その通りだ。
「でもま、疑う気持ちもわかるけどね。じゃあ、こんなのはどう? 私もシエルも、志貴を騙しても得することはない、とか」
「初対面じゃわからないだろ?」
「そんなの、何年付き合ってたってわかんないんじゃない? 付き合いが長くなったら、騙されてもいいと思えるようになるだけだと思うし」
 それはまあ……そうかもしれない。
 なにをもってして信用できるのか、なにを信用の担保をするのか、それをただ付き合ってきた時間の長さに求めるのであれば、確かに根拠にはならない。気持ちの問題だ。
 だからといって、アルクェイドを信用する理由にはならないが、それは裏返せば、信用しない理由にもならないはずだ。
 後は、気持ちの問題。
「私には、あなたを騙す理由はありません。もし私自身を信じられないというのなら、私ではなく、主の御名において誓います」
「いや、まあ、うん。そんなに疑ってるわけじゃないんだけど……」
 実際のところ、アルクェイドのように、騙してるかもしれないけど、好きにすれば? と言われたほうが、シエルのように、神を担保に持ってこられるよりも信用できる。
 神なんて誰も救わない。それは知っているから。
 だから神を信じるんだ、と言われれば、信じられるかもしれないが。
 結局、信じる信じないなんてのは、論理的なものじゃない、か。
「……志貴は別に、なにもしなくていいんだよ?」
 アルクェイドは不意に、そんなことを言い出した。
「どういう意味?」
「言葉の通り。ロアは私とシエルで始末するから。志貴は別に、無理して殺さなくてもいいんだよ?」
 無理をして……?
 ……なるほど。確かに自分は、無理をしている。しようとしている。
 微弱な殺意を理由に殺そうとしている。
 殺せるわけがない。殺せたもんじゃない。
 秋葉が死んで腑抜けてしまった俺には、もうなにも殺せない。
 殺人鬼の癖に。アルクェイドを殺そうとした時の殺意はどこにいってしまったのか。
「俺は……」
 少しだけ、過去を振り返る。
 シキの肉体を乗っ取ったロア。
 その肉体に秋葉の血を吸わせたロア。
 シキが死んだのも、秋葉が死んだのも、すべてロアに原因がある。
 でも、ロアなんてどうでもいい。
「……それでも俺は、ロアを殺す」
 自分は、死を望んでいる。そんなことを強く意識する。
 でも、ただ死ぬことはできない。死ぬための理由が欲しい。
 ロアを殺して、自分も死ぬ。それはとても、とても理想的だ。
 ロアを殺し、ロアに殺され、そして死ぬ。それはとても、綺麗な結末だ。
 シキの言っていた通り、誰もなにも、なくなってしまう。そうなってしまえば、なんて楽だろう。
 なにを思い煩う必要もない。まるで、最初からそれを望んでいたんじゃないかと思うぐらい、それは確たるビジョンとなって脳裏に根付いた。
「ロアを恨む気はないけれど、ロアは俺が殺さなきゃならない」
「どうして?」
「俺にしか、ロアは殺せないからだ。アルクェイドにも、シエルにも殺せないだろ? でも俺には殺せる。だから……殺さなきゃ」
 十八回も転生してしまったのは、結局はそういうことだ。殺しきれなかったから、転生してしまった。
 だけど俺は違う。俺は完璧に完全にロアを殺せる。
 ロアを殺して、なかったことにしてしまえる。
 生きるのが下手なら、そうして殺してしまえばいい。
 最初からそうしていれば、なにもこんな面倒な話にはならなかっただろうに。
 自分で死ぬことも出来ず、誰かに殺してもらうこともできず、生き続けることしか出来なかった。それこそがロアの不幸だろう。
 ただ一度、アルクェイドに殺されればそれで満足だっただろうに。
「俺には殺せる、って……どういう意味? 私もシエルも、あいつを殺すことはできるよ?」
「ただ、殺すだけだろ? それで奴は転生する。ずっと転生し続けてきた。それじゃあ終わらない。いつまでも殺さなきゃいけない。いままではそうだったんだろ?」
「まあ、そりゃあそうだけど……他に方法なんてないじゃない。ロアが転生したくなくなるまで殺すしか、ないでしょ?」
 それがアルクェイドの方法論か。なるほど、確かに一理ある。
 転生することによって永遠に生き続けることができるなら、転生する目的そのものを奪ってしまうのが一番いい。
「俺は、ロアの存在そのものを殺せる。この場合は、魂になるのかな? 理屈はよくわからないけど、俺にはものの死にやすい線と、死そのものの点が見える」
「……ちょっと、それって真面目な話?」
「まあ、冗談にしか聞こえないかもしれないけど……」
「そういう能力があるのは知ってるわ。直死の魔眼て呼ばれてて、神話の時代の神々ぐらいしか持ってる奴がいないってことも。でも……本当に? 本当にそんな能力を持ってるの?」
「まあ、信じられないのもわかるけど……」
「いえ、むしろ逆ですね。そのぐらいの能力がなければ、むしろなぜ志貴が生かされてきたのか、説明がつきません」
「どゆこと?」
「志貴には、三人目と同じように、遠野家に引き取られる前の記録がまったくありません。手を回したのは遠野家でしょう。しかし、その係累の記録をすべて消し去られているというのは異常です。そこまでするなら普通、志貴を生かしておくはずがありません」
 その通りだ。俺は退魔の一族なのに、化物の一族である遠野家に引き取られた。
 もっとも、遠野家に引き取られた時は、この能力は発現していなかった。だからこそ、殺されずに済んだんじゃないかと思っている。
 親父……遠野槙久という男は、変な心の弱さを持っていた。俺が最初からこの能力を使えていたなら、きっと一族と一緒に殺されていただろう。
 あまりにも普通の人間にしか見えなかったから生かされていたんだと思う。この能力に目覚めた時、本来なら殺されるはずだったんだから。
 それを止めたのは秋葉だったと、親父が死んだ時に聞かされた。
「直死の魔眼を擁するということは、遠野本家が分家に対して強力なアドバンテージを有していたということです。見たところ、志貴は実戦訓練を受けているようですし」
「まあ、ね。俺は番犬として飼われていただけだし」
 ただし、遠野家の、ではなく、秋葉の、だが、あえて否定するほどの違いはない。秋葉が遠野家の当主を継いだ以上、どちらでも同じことだ。
 俺は秋葉に生かされている。
「では、なぜ戦うんですか?」
「……は?」
「あなたを縛り付けていた遠野家の当主は死んだんですよ?」
 反射的に、シエルの胸倉を掴み、拳を振り上げた。
 なんてことを言いやがる。確かに秋葉は死んだ。お前に言われるまでもない。
 お前になんて言われたくない。化物が死んだと告げるその冷酷な眼差しで語られたくはない。
 表情の変わらないシエルを見ていると、凶暴な気持ちも萎えてしまう。悪気はない。こいつはただ、世界を正しいものと正しくないものとしてしか認識できないだけだ。
 人間は正しくて、化物は正しくないものとしか認識できないだけだ。
 それじゃあ、この怒りはどこに持っていけばいいんだ。
「秋葉はそんなんじゃない。秋葉は……秋葉は……」
 でも、だったら、なんだというのか。
 わからない。わかりたくない。俺はいつだってその答えから逃げてきた。
「……まあ、あなたの個人的な動機がなんであれ、関知しません。それに、あなたの提案は妥当です。確かに私とアルクェイドでは、ロアは殺しきれません」
「うーん、まーねー。そうなんだけどねー」
 それでもアルクェイドは、釈然としないらしい。
 少しの間、うんうん唸っていたが、最終的には溜め息を吐きながら頷いた。
「じゃあ、志貴にお願いしようかな」
「お願いされてやるよ」
 お願いなんかされなくたって、そうすると決めていたけれど。
 俺が死ぬことで秋葉を生き返らせることができればいいのに。
「できるだけサポートはするつもりだけど……難しいかな?」
「そうですね。これだけの大物が出てくるとは思っていませんでした」
 不意に、気配が湧いた。いや、夜闇から滲み出した、と言ったほうが正確か。
 瞬間移動よりはじわじわと、だがそれとそう変わらない唐突さで、それは現出した。
「ネロ・カオス……黒き混沌がこんな極東の島国に何の用です?」
 シエルとアルクェイドはすでに臨戦態勢だ。引きずられるように、俺の中でもスイッチが切り替わる。
 距離にして、十メートルほどを置いて現れたのは、二メートルほどの身長の黒い男だった。辺りが暗いから、というわけではなく、その男自体がそもそも黒一色で塗り潰したような格好をしている。全身を覆うコートの上に、白い顔だけが浮かんでいた。
 見た瞬間にわかった。こいつはとんでもない化物だということが。
 なるほど、アルクェイドが渋々ながら頷いたのは、こいつの出現を察知してのことか。
「真祖の姫君に、埋葬機関の弓か。……私を牽制に使うとはな、侮られたものだな」
 男は自嘲気味の笑みを零しながら、アルクェイドとシエルを交互に眺める。
 その眼差しには、緊張も恐れもない。目の前の現実をただ受け入れ、そして超克することに対してなんの気負いもてらいもない様子だ。
 アルクェイドとシエル、どちらも嫌がらせじみた力を持った化物だ。それを前にしてこうも余裕を見せることができるというのは、それだけですごいことなんだろう。
 その自信を裏付けるかのように、アルクェイドもシエルも、対峙するだけで手出しをする様子はない。
「牽制……? 混沌とまで呼ばれ二十七祖の十の位を持つあなたが、ロアの使い走りということですか?」
「そう責めないでもらいたいものだな。私にも私なりに、真祖の姫君に用があるのだよ」
「へえ。あんたが私に? 私は用なんてないけど」
「なに、大した事ではない……ただ、我が内なる混沌の一部になってもらおうというだけだよ」
 男は言いながら、コートをまくりあげた。
 なにをする気なのかと思ったら、コートの中にはなにもなかった。体の輪郭状に見える闇があるだけで、その行為がなにを意味するのかもわからない。
 じわり、と闇が湧いた。先ほどそいつが現れたとき同様、不可解な唐突さで、漆黒の闇から何かが生まれ出でる。
 それもまた、闇で形作られていたが、その形状は、狼だった。
「我が体内には六百六十六の獣の因子が存在しているが、真祖はまだ食らったことがないものでね……真祖の姫君を食らわせていただく」
 闇の狼が、ネロから分離した。それは狂ったような勢いで駆け出し、一直線にアルクェイドに迫る。
 ただの狼ではないことは、その疾駆の速度から窺い知れた。が、アルクェイドは訳もなくそれを叩き潰した。
 異様だったのは、その後だ。叩き潰された狼は、地面に蟠る闇の塊となった後、自らが生まれたネロの体に戻っていったのだ。
「無駄だ無駄だ。我が混沌と呼ばれているのは伊達ではないのだよ……我が肉体より生まれし獣を殺したところで、我が体内に戻るだけだ」
「獣王の巣だっけ。元人間の癖に、よくもまあそこまでの固有結界を生み出したものね……ほんと、感心するわ」
 なるほど、アルクェイドもシエルも、それを知っていたからこそ安易に攻撃を仕掛けなかったわけか。
 そして、その能力を知っていたところで、事実上、対処などしようがない。俺の能力もそうだが、わかったところで対応しようのない能力というものもある。
 ネロの場合はロアと違って、生き返ろうと思わなくなるほど殺す方法も取れない。ネロから派生した獣が死んだところで、ネロ自身は死ぬどころか傷ついてもいないのだから。
 それでも俺なら、ネロを殺せるだろう。六百六十六の魂すべてを切り刻めば。
 ……それもまた、現実的ではないが。
「志貴は行っていいよ」
 ネロから視線は外さず、アルクェイドが言う。
「こいつは私とシエルでなんとかするから。志貴はロアのほうをお願いね」
「……あなたと一緒に戦わなければならないんですか?」
「ネロだって異端でしょ? きちんと仕事しなさいよ」
「いえ、そうではなく……」
「……任せていいんだな?」
「だーれに言ってんのよ。シエルだけなら不安だけど、私がいるんですからね」
「……あなた、ここぞとばかりに好き勝手言ってませんか?」
「じゃあ……任せた」
 ネロに背を向けて、駆け出す。アルクェイドにしろ、シエルにしろ、心配しなければならない義理があるわけでもない。そもそも、ネロが狙っているのはアルクェイドであって、俺には関係がない。
 それでも、この二人には死んで欲しくなかった。ネロが絶望的な能力の持ち主だったとしても。
 俺には俺のやることがある。いまはただ、そのことだけを考えるべきだ。
 振り返らずに、夜道を駆ける。
 ロアを殺しに? シキを救いに?
 ……秋葉に、引導を渡すために。