君の名を呼ばぬ日はなく



 目が覚めて、涙を流す。
 何度目のことかも覚えていないけれど、心が波立つのを感じる。
 それは、ほんのわずかな時間で収束し、波紋すら残すことはないけれど、いつかの自分の大事な気持ちを思い起こさせる気がして、酷く居心地が悪い。
 私は私だ。他の何者でもない。過去があろうとなかろうと、私はいま私としてここに存在している。であれば、過去何者であったとしても、それを思い煩うのは不必要な感情だ。
 ベッドから起き上がり、カーテンを開けて朝日が昇るのを眺める。人間として、睡眠を取るフリをしているだけなのに、それのせいで悩まなければならないなんて、おかしな話だ。
 あなたもいま起きているだろうか、それとも眠っているだろうか。そんなことを思う。誰のことを想っているのかもわからないけれど、それだけが私の心を幸せにしてくれる。
 ああ、きっと。私はこの快楽を得るために睡眠を取るのだろう。眠るためではなく、目覚めるために私は横たわるのだ。
 名前を知らないあなたを追い求める。きっとあなただけが本当の私を知っているから。

 今日も陰気な面を見つけて張り倒してやりたくなった。
「あんたはほんっっっっとにいっっっっつもそんな顔してるよね」
 仕官食堂で俯きながらラーメンを啜ってる秋に遠慮のない罵倒を投げつける。
「地顔なんだ。ほっといてくれよ」
 愛想の欠片もない表情のまま応答し、顔をあげることすらしない。まあ、ラーメンを頬張ってたら顔なんて上げられないだろうけど。
 なぜか秋の顔を見ると腹が立つ。周りにバカにされてるのをわかってるくせに状況を改善しようとしないその姿勢が許しがたい。
 でも、本来それは私の知ったこっちゃない。秋なんてどうでもいいし、実際どうでもいいと思っているのに、なぜかかまわずにはいられない。
 あの人の子供だからと、それらしい理由をつけてはいるけれど。私の本心は、いつでもそれに否を投げかける。
「そりゃあたしだってほっときたいけど。しょうがないじゃない、パートナーなんだし」
「父さんに言われて嫌々組んでるくせに、パートナーとか言うなよ」
 唇の端を歪めるだけの笑み。私は嘲笑されることを好まない。誰だってそうだろうけど。
「誰の命令だろうと、事実じゃない。あたしとあんたの相性は、最悪なことに最高なんだから」
 他のギアドライバーと組んだことがないわけではないが、どうにもいまいちしっくりこなかった。それなのに秋と組んでからは、想像もできなかったような戦果をあげている。
 現実は残酷だ。それが私と秋の相性を保証しているせいで、このパートナー関係は解消されそうにない。
「理由なんてわからないんだろ? でも僕は知ってるんだ。だから僕は君が嫌いなのさ」
 不愉快極まるとでも言いたげな顔でそんなことを言われて、黙っているほどすました大人ではない。
 思い切りコップの水をぶちまけてやった。半分ぐらいは冷静で、ここまでやればこいつだって怒るだとうと思っていた。
 ところが実際には、秋はまた唇の端を少しだけ歪めて苦笑し、なにも言わずに席を立った。
「ちょっと……怒りなさいよ」
 怒りなさいよもないもんだと思いながら、それでも言わずにはいられなかった。
 他の連中にからかわれてもむっとしているだけの秋が、私がなにかする度に寂しそうに笑うからかもしれない。
 それが秋なりの感情表現なんだと、認めることはできたかもしれないけれど、そうするには少しばかり、可愛げというものが足りなかった。秋にも、私にも。
 あんたがあたしのなにを知っているのかと、問い質したい気持ちもあるけれど。それをしてしまうのは、秋の言うことを認めることになってしまうので、いまだにできないでいる。
 そういう意味では、秋をからかう連中の気持ちもわからないでもない。なにもかもわかってるんだぞという眼差しで見つめられて、居心地が悪くないやつのほうが珍しい。
 それはそれで、そうなんだけど。
 結局私は、なぜ自分から秋にちょっかいをかけるのか、その理由をいまだに理解していなかった。

 その人に対してはいつだって無防備な微笑みを見せるのが憎かった。
 私に対しては絶対向けられないその笑みが妬ましかった。
「おね〜さまっ♪」
「うわっ、びっくりしたっ」
 篠宮秋の従姉であるところの篠宮鈴音に抱きつく。スキンシップというよりはただの習慣というか、自分でもよくわからないけれど、私はこの人に弱い。思わずこんなことしちゃうぐらいに。
 私の姿を認めた途端、秋はいつものしかめっ面に戻った。
「んもう、おね〜さまったら、いっつも秋とばっかり喋ってるんですもの」
 頬擦りする勢いで鈴音にまとわりつく。それでも無感情な秋を見て、またムカムカ。
「まあ、整備だしね。機体の調整はパイロットの意見を聞かないと」
 それなら、というか、それだけならあんな顔はしなくてもいいじゃない、とは思ったけれど、やっぱり言わない。これもプライドなのかなんなのか。
「なら私にも聞いてくださいよぅ」
「うん、そうだね、ごめん」
 鈴音は、私と秋が乗るシュネルギアの専属整備士。専属とは言っても一人で整備できるものではないので、他の整備士もついているけれど、一番この機体のことを知り尽くしているのは、やはり鈴音である。
 鈴音はいつも、私を見て曖昧に微笑む。秋とは別に、この人も私には秋に向けるような笑顔は見せてくれないけれど、それでも鈴音に関しては、むしろ胸を締め付けるような切なさを感じさせる。
 ごめんなさいと、泣きながら謝ってしまいたくなるぐらい。私は彼女に、弱い。
「なんの話をしてたんですか?」
「ん〜、足回りというか、取り回しというか、操作感というか。秋のモーションと、それに追従しようとするシステムとのギャップとか、まあそのあたりの話かな」
「……全然わからないです」
「だから言わなかったのに」
 吐き捨てがちに秋が言い、頭に血が上った私はそれでも冷静を装う。
「そりゃあ、機体の整備に関しては秋にはかなわないかもしんないけどさっ!」
 秋はなにが楽しいのかわからないけど、暇さえあればシュネルギアを自分で整備している。もちろん、整備できるだけの知識と技術があると認められているからこそだ。
 知識は技術書で身につけた。技術は鈴音に教え込まれた。いまでは鈴音と同じ水準で話ができるぐらい、秋の技術は上がっている。
 まあ、実際の整備に関しては比べものにならないぐらいの差があるらしいけど。ギアドライバーにしか調整できないような細部の調整に関しては、秋以上にできるものがいないというのも、また道理だ。
 秋はそうやって鈴音との接点を作ろうとしているんだ、と、最初は思っていたけれど。実際には、あの人の仕事を、あの人の作り出しているものを理解しようとしているんじゃないだろうかと、最近は思うようになった。
 根拠のない推測だけど。秋はむしろ、あの人のことを嫌っている節がある。
「苺はなんでもかんでも首を突っ込みたがるけど、もうちょっと頭使ったら? それじゃあただのバカみたいだ」
 秋は苦々しく言い放ち、背を向けて機体へ向かう。時間を無駄にはしてられないとその背中は告げていたけれど、黙って行かせるほど私は大人じゃない。
「そりゃわるぅございましたねっ!」
 鈴音から手を離し、背後から秋にドロップキックをかます。
 さすがにここまでのことをされると予想していなかったらしい秋は、情けない驚きの声をあげながら私と一緒に倒れこんだ。
「苺、それはやりすぎ……」
 鈴音の声が遠い。それでも私は、なぜか勝ち誇った気分だった。
 秋にはこれぐらいしてやらなきゃダメなんだと、なんの根拠もなく思っていたけれど。
 起き上がった秋は、なぜか泣き出しそうなぐらい、悲しそうな顔をしていた。
「ちょっと……そんなに痛かったの……?」
 いいや、と短くぶっきらぼうに答えて立ち上がり、私に手を貸して立ち上がらせながらも、私が服についた埃を払っている間に、秋は再び背を向けてしまった。
 怒りたいなら怒ればいいじゃないと、もう何度目かもわからないことを思いはしたけれど。
 もしかして秋は、怒りたくても怒れないのかもしれないと、なんとなく思った。
 私が秋を怒らせようとすればするほど、秋は悲しそうに見える。それがなぜなのかわからないから、気持ち悪さだけが募る。
「ごめんね」
 近づいてきた鈴音が、そんなことを言いながら、秋の後姿を見送った。
 この二人には、他人が入り込めない何かがある。その眼差しがそう物語っていたけれど、なぜか私は、そんなものを認めてはいけないんだという気がしていた。
 なによりもその絆とやらに私が絡んでいるようだから、というのもあるけれど。
 私は結局誰が好きで、誰のことが大事なんだろう。そんなことがわからなかった。

「秋が来ていないね」
 その人は静かにそう呟いて、パソコンのモニタから視線を離した。
「来てませんね」
 まったく、あのバカはなにをやっているのかと、ため息が零れる。
「まあ、別に問題はないのだけれど。ちょっと伝えなければならないことがあるから、呼んできてくれないかな」
「はい」
 なんで私が、と思いはしたけれど、"命の恩人"の言葉に逆らう気にもなれず、扉に向かう。
 いいや、違う。私は"お父様"を愛している。"お父様"がいるから私は存在していて、"お父様"なしに私の存在はありえない。
 "お父様"に出会うまで、物のように扱われていた。私が特殊な天使核を持っているおかげで、廃棄こそされなかったものの、特殊な適性者として、道具のように扱われ続けてきた。
 機械の体に、人間の脳味噌。私の体は大部分が機械でできていて、人間としての部分なんて脳味噌と脊髄しか存在しない。
 そうなってしまったのではなく、そう生み出された存在だから。
 それのどこが人間なのかと、自分でも思ってしまう。だからきっと、私は機械で、物のように扱われて当然で、役に立たなければ捨てられるだけの存在だ。
 "お父様"は違った。"お父様"だけが私を人間として扱ってくれた。私を生み出した研究者は、私を生み出した瞬間こそ大喜びしていたものの、思い通りに私のクローンが作れないと知った途端、手のひらを返したように過酷な実験を課した。
 私は機械の体だから、妊娠はできない。それでも、性行為そのものは可能なようにできている。
 あそこにあったのは、精神と肉体を陵辱される日々。口では駄作と罵られ、首を絞められながら性交を強要され、どうせ殺しても死なないんだからとあらゆる苦痛を与えられた。
 自ら死のうとしても死ぬこともできない。機械化された私の"部分"が、そういった行動をすべて抑制してしまう。
 生き地獄。それを生き抜いて、いま、ここにいる。
 私を救ってくれた"お父様"は、あいつの研究の詳細と、私という結果を聞きつけて、軍に掛け合ってくれたらしい。いまだに"お父様"にどの程度の権限があるのかわからないけれど、軍はそれを二つ返事で承諾し、あいつから私を取り上げた。
 いまでは普通の人間のように生活させてもらってる。クローン人間、完全機械化兵と呼ばれる存在であることは隠蔽され、普通の人間として、鈴蘭苺という名前を与えら、少尉なんて階級までもらって。
 "お父様"の采配の結果か、私は並の尉官よりも広範囲な情報にアクセスすることができる。できたからといってなにができるわけでもないけれど、秋が整備を得意とするように、私は情報処理を得意としていた。
 それでも、私には唯一知ることのできない情報がある。
 素体となった人間の情報だ。
 どんな経路からアクセスしようとしても、それだけは厳重に秘匿されていて、有効なアクセスコードを持っているのは、いまとなっては"お父様"と軍上層部になっている。
 私を研究していたあいつでさえ、いまではアクセスできないのだ。
 私の過去にいったいなにがあったのか。気にはなるが、追求のしようがない。
 もっとも、素体の人生なんて、私にはなんの関係もないけれど。素体は人間としては"死んだ"ものとして扱われる。戸籍情報は軍の管理下に置かれ、重要機密となり、不正にアクセスしようとしただけで下手すれば死刑になる。
 それだけ合衆国を警戒しているんだろう。完全機械化兵とシュネルギア。この二つだけがこの世界で天使兵に対抗する手段だから。
 それでも、人の記憶には鍵をかけられない。過去の私を知る人に会うことができれば、話を聞くぐらいのことはできるはずだ。
 ……追い求めてもなんにもならないとわかっているのに、追い求めている自分に気づく。その無意味な衝動に喚き散らし、泣き晴らしたくなる。
 もしかして私は、あの研究所にいた頃に壊れてしまっていて、まともな人間としての感情すら持ち得ない、本当の出来損ないになってしまったんじゃないだろうか。
 だとしても。だとしても、それがなんだというのか。壊れたところで失うなにかがあるわけでもない。絶望なんてものがどこにでもあるなんて知っている。希望を持たないことこそが生きる術だとわかっている。
 私がいるところは戦場で、私は戦場で行使される兵器だ。その自覚さえあれば、なにがあろうとも生きていける。死ぬ事だってできる。
 生きるのだって死ぬのだって大したことじゃない。道具は消費されるだけの存在だ。
 でもそれは、矛盾してしまう。私は"お父様"を"愛している"。道具は誰かを愛したりはしない。道具が誰かに愛されることはあったとしても。
 好きだの嫌いだの、愛してるだの憎んでるだの、そんなことを思い煩うこと自体がどうかしてる証拠だ。私はそういう風にはできていないはずなのに。
 思考の迷路で楽しんでいる間に、秋の部屋についた。
 ノックもせずに扉を開ける。私は秋の部屋に一方的に入ることができる。認証もフリーパスだ。逆に、秋は私の部屋に勝手に入ることはできない。それが私と秋の違いで、"お父様"が認める価値の差だ、と私は思っている。
 シャワーを使っている音が聞こえてきた。さすが尉官、というべきか、貴重な実験体であるギアドライバーというべきか、生活環境はそれなりに充実している。いるけれど……
 秋の部屋は殺風景だ。ベッド、机、テレビ、整備関係の技術書、漫画雑誌などはほとんどといっていいほどなく、学術系の専門誌がちらほらと床に転がっている。
 若者の部屋じゃないのよねえと思いながら、ベッドに腰を下ろす。じじくさいのとも違って、若者らしさが徹底的に欠如していた。普通に学校に通って普通に遊んでる秋なんて想像できないけれど、これが秋らしさなんだといわれても、なんとなく納得できない。
 秋は本当は……本当は、なんなんだろうか。秋が私のなにを知っているわけでもないのと同様に、私も秋のことはほとんどわからない。それなのに、本当もなにもあったもんじゃないけれど、それでも……
 それでもきっと、私は、本当の秋を知っている。そんな予感がする。
 私は秋が好きなんだろうかと思うこともあるけれど、それだけはないなといつも思うくせに、それでもどうしようもなく秋のことが気になってしまうのはなぜなんだろうか。
「……なんだ、苺か」
 シャワーから上がった秋は、腰にタオルを巻き、髪の毛を拭きながらフローリングに出てきた。ここは秋の自室なんだから文句を言う筋合いじゃないけれど、なんとなく目のやり場に困る。
「お父様がお呼びよ、って言うか呼ばれなくてもきなさいよ。なにやってるの?」
「……シャワー浴びてた」
 うんざりした顔で、秋がぼやく。さて、秋はなににうんざりしているのか。
「シャワーなんて後回しにしなさいよ。ご報告のほうが先でしょう?」
「別にいいよ、そんなの。僕がなにを言ったところで、あの人が得られるなにが変わるわけでもないんだから」
 今日の秋はやけに反抗的だ。何かあったんだろうか。
 そりゃまあ、今日の出撃で友軍を一人失ったけれども。私達は戦争をしているんだから、そんなのは当たり前の出来事でしかない。
 メンタルが弱いなあ。まあ、子供だからしょうがないか。
「反抗期?」
「……だったらまだよかったのかもね」
 唇の端を吊り上げるだけの笑いを見せて、秋はベッドの端に投げかけてあったズボンを履く。勝手に入った私が言うことじゃないけれど、もうちょっと隠して欲しいなと思ったり思わなかったり。いや、まあ、別にいいといえばいいんだけども。
「こんなことをしたって、なにも変わりはしないさ。そのぐらいのことはわかってるよ」
 それでもそうせずにはいられない、というのなら、わりと重症なのかもしれない。
 私の無意味な思考ゲームと同じだ。そうすることに意味があるだけで、それの結果には意味なんてない。
 私の隣に腰を下ろし、体を投げ出すように寝転がる。私は特に振り返ることもせず、テレビに窓ガラスに映っている自分と秋の姿を見つめる。
「だけど……正直、あの人にはうんざりだ。あの機械には僕じゃないと乗れなくて、僕が乗らなきゃ傷つく人が増えるんだと言われれば、僕だって血も涙もあるんだ、拒否しようとは思わないけど。あの人のやり方は……酷すぎる。……なんで僕があの人を殺さなきゃいけないんだ……」
 天使化しかけた機械化兵がいた。秋は戦場のイロハをその人に習った。戦場に立つこと自体は決して秋の望んだものではなかったとしても、結果的にそれが秋を生かしているということは、秋にもわかっているんだろう。
 そんな恩人を、天使化しかけたから、自分達の敵になってしまったからと、その手で殺さなければならなかった。気持ちはわからないでもない。
 だけどそんなのはすり替えの感傷だ。元人間の天使を殺すのはダメ、なんて言ったところで、じゃあそうじゃない天使を殺すのはいいのかということになってしまう。あいつらだって生物で、まあ言葉はわからないけど、あいつらなりの論理と規範ぐらいはあるんだろうと思わせる程度には知能だって垣間見える。
 牛や豚を殺すのと大差ないのに、ソレが元人間だと知っていれば躊躇する。甘ったれの論理だ。
 私達がしているのは戦争だ。人間を殺して喜ぶような世界だ。それができないやつは、潰れていくしかない。
 私は秋に潰れて欲しいとは思っていないんだな、と自覚する。
「あんたのほうがあの人より価値があっただけでしょ」
 単純な引き算だ。それぐらいさっさと覚えるべきである。
 私だろうと秋だろうと、なんだかんだ言って代わりはいる。私達でなければならない理由はそれほど大きくなく、使えないとなれば使わずに済むようにしなければならない状況でもあるんだから、より使えない連中を切り捨てて残りを生かすぐらいのことは単純な計算でできる話だ。
 バカにだってわかる。……バカにしかわからないのかもしれないけれど。
「人間の生き死にに価値なんて言葉を使うなよ」
 冷めた声。秋がそういう喋り方をする時は、本気で怒ってる時だ。秋は怒れば怒るほど、頭に血が上れば上るほど、言葉が冷めていく。冷静に怒りを募らせる。
 怖い、とは思わない。こいつが誰かに対して怒るなんて滅多にないことで、怒る価値もないと判断すれば、怒ることすらしてくれないんだから、これはまだましな反応なのだ。
「有意義に生きて死ぬのが人間じゃない。他人の価値は決められないけれど、自分の価値ぐらい私にだってあんたにだって決められるわ」
 秋はそれには答えなかったけれど、笑ったようだった。
「そうだね。君はそういう人だった。昔から」
「昔から?」
「昔から」
 昔、というのはつまり、出会った頃から、という意味なんだろうけど。
 その言葉には、それ以外の意味も含まれている気がした。
「あの人は、自分が僕を殺すより、僕があの人を殺すことを選んだって言いたいんだろ? 勘弁してよ。そんなのまで背負ってらんないんだから」
 本気の弱音だった。秋にしては珍しい。それだけ今日の出来事が堪えているんだろうけど、なんにしろ、そうあることではない。
「重荷?」
「正直ね」
「生かされるのは辛い?」
「なんで生きてるのかと思うぐらい」
「答えが欲しい?」
「そんなものはないよ」
 その言葉の続きは、残念ながら理解することができた。
「「だから辛いんだ」」
 ふんと鼻を鳴らして、秋が笑う。私もおかしくなって、微笑みをこぼす。
 秋ならきっと、わかってくれるんじゃないか。そんなことを思う。
「あの人には僕から連絡しとくよ」
「そうね。そのほうが私としては楽だわ」
 "お父様"は、なんだかんだ言って秋のことは気にかけている。秋はそれを認めたくはないというか、認められないようだけど、傍から見てればそれなりに親子をしているように見えた。
 秋はきっとこう思っているだろう。『自分にパイロットをやらせておきたいから父親のフリをするんだ』と。
 それは嘘ではないと思う。でもすべてでもないと思う。
 人間は複雑だ。一つの感情で割り切ることができればどれほど楽なことか。
 秋は立ち上がって机に向かった。引き出しすらないその机には、携帯電話が載っている。
「苺は戻るの?」
 携帯電話を手に取りながら、秋が振り返る。
 その姿を見て、思わず
「ここにいる」
 そう答えていた。
 秋は驚いたのか、少しだけ目を見開いたが、特になにも言いはしなかった。むしろなにか言ってくれたほうが気は楽になっただろうに。
 携帯電話で話す秋を横目に、なんで私はあんなことを言ったんだろうか、と考える。
 なにかを思い出しかけて。それが一番の理由だろうか。秋の姿がなにを想起させたのかはわからないけれど、私は大事ななにかを思い出しかけた。
 "思い出しかけた"?
 元から存在しない記憶のなにを思い出すというのか。
 私は私だ。第十世代完全機械化兵、鈴蘭型十五号。少しだけ人間らしい名前として、鈴蘭苺という名前をつけられた。
 私の脳はクローン培養されたもので、あの研究所での生活が私のすべてだった。
 それ以前なんてものはない。それ以外に思い出せることなんて存在しない。
 それなのに私は、何を。
「……なに泣いてるのさ?」
 少しだけ困った顔の秋が間近にいた。
 泣いている? 私が?
「なんでもないわよ」
 強がって顔を背け、頬に手を当てる。濡れていた。確かに私は、泣いているらしい。
 悲しいことなんてなにもないのに、それでも泣けるのか。それとも、悲しいことなんかじゃ泣けないから、いま泣いているのか。
「意地っ張り」
「根暗」
「短気」
「マザコン」
「傍若無人」
「それは褒め言葉よ」
「どこが?」
「私にぴったりじゃない」
「自覚はあったんだ」
「当たり前よ。私はそこまで恥知らずじゃないわ」
「それも相当だと思うけどね」
 少しだけ笑って、秋は再び私の隣に腰を下ろした。今度は寝転がらずに、携帯を見下ろしながら手の中で弄る。
「……僕は君の過去を知っている」
 衝撃の告白、というには、あまりにも日常的に過ぎた。
「……まさか」
 馬鹿げている。私はまだ生まれてから一年かそこらだから、その可能性自体を否定するわけではないけれど。
 まだ携帯に視線を落としてはいたけれど、秋の姿に不自然さはなかった。
「信じられないかもしれないけどこれは本当の話だ。僕は君の知り合いだった。だから忠告する……あの人を信じるのは、もうやめるんだ」
 でも、そんな、だからって。
「本当は言わないつもりだった。たとえ僕が君を知っていたところで、なにがあるわけでもない。少しだけ面倒ごとが増えて、少しだけ煩わしさが増えて、少しだけあの人のことが憎くなるだけだから。それでも……そんな泣き方をされたんじゃ、たまんないよ」
 はぁ、と大きなため息を吐いて、秋は顔をのけぞらせ、天井を見上げる。
「僕は君を知っている。鈴蘭苺ではない君を」
 告白、というよりは懺悔のようで。
 その言葉は秋が思っている以上の魔力でもって、私を縛った。
「苺がどうしてもそれを知りたいなら、教える。でもここでは教えられない。鈴ねえが一緒にいないと」
 鈴音? この場面でその名前が出てくるということは、鈴音も私の過去を知っている、ということか?
 なぜ、とは思わなかった。"お父様"の顔が、脳裏をよぎった。
「だから僕は、あの人を信じるな、って言ってるんだ」
 吐き捨てるように。それでもなおそれにすがっている自分という矛盾をまとめて追い出すように。
「だけど、だって、そんな。……いまさらじゃない」
 私、鈴蘭苺が成立するためには、どうしたって"お父様"の存在は欠かせない。
 そのぐらいのことは、秋だってわかってるんだろう。だから、忠告だと言いながらも、その言葉には力がない。
 すべてがいまさらだ。私の過去も、現在も、きっと未来だって、なにもかもが"いまさら"な出来事の積み重ねに過ぎない。
 私は兵器だ。私は鈴蘭苺だ。私は完全機械化兵だ。それ以外の何者でもない。
 そこで私の感情は停止する。
「僕も君も、鈴ねえだって、あの人の手の平の上で踊らされてるにすぎない。僕達の自由になることなんてあまりにも少ない……だからきっと、僕らは兵器なんだよ」
 死ぬか殺すかしか選べないのであれば、それは確かに兵器に等しい。
 生身だろうがなんだろうが関係ない。クローンであるかどうかも重要ではない。
 兵器であるということは、そんなものには縛られない。生まれなど関係なく、ただ生き様でそれが決まる。
 見せ掛け上とはいえ自由意志を持つ私が兵器であるということは、私が兵器として生きようとしているということだ。
「……だから僕は、あの人を殺す」
 決意、というのとは、少し違う気がする。ただそうしなければならないからそうするという義務、というのが一番近いのだろうけど。
 親殺しの義務、なんてものが本当にあるんだろうか。
「私はそれを許さないわ」
 許せるはずもない。"お父様"が死んでしまったら、私は……私は、存在意義を失ってしまう。
 兵器の分際で存在意義なんて、とも思う。けど、兵器だからこそ、存在意義ぐらいは貫き通したい、と思う。
 死ぬことは決まってる。それなら死に様ぐらいは選びたい。他にはなにもないこの身だからこそ。
「だろうね。僕は君と争う気はないよ」
 薄い苦笑い。それは皮肉には見えなかったけれど、秋の中には、それなりの大きさで"私"がいるんだと思わされた。
 でもそれは、本当に"私"なんだろうか?
「君は昔から僕の弱点だ……いまも昔も、それだけは変わらない。君はいつでも正しい。僕はいつでも間違っている。僕にとって君は、眩し過ぎる……だから僕は、君の正しさに憧れ続ける。決して手は、届かないんだろうけど」
 なにもかもを、というほどでもなく。しかし確実になにかを諦めた声音で。
 ふと隣にいる秋に視線を向ける。今まで見たこともないような優しい顔をしていた。
 なんでそんな顔でそんな言葉を。
「なんか告白みたいね」
「うん。たぶんそうだ。僕は君のことが好きだよ」
 心が弾んだ。そうとしか表現できない衝撃が襲い掛かってきた。
 なのに心は悲しんでいた。なぜ、という言葉ばかりが頭の中を駆け巡り、それがなんに対する問いかけなのかもわからない。
「お姉さまのことが一番なくせに」
「そうだね。それはそうだ。それも変わりようがない……僕がいま、ここでこうしてまともな人間のフリをしていられるのは、鈴ねえと苺がいたからだ。だからどっちが一番とも思わない。どっちも一番だ」
「……ヤケに素直じゃない」
「僕の気持ちなんてどうせわかってたんだろ? 僕は優柔不断で誰か一人を選ぶこともできないようなやつだ。鈴ねえにふらふらしたり苺にふらふらしたり、あの人にふらふらしたり。……誰でもいいんだよ、きっと。ただ、いま僕が立つために必要な支えが欲しいだけなんだ」
 それが実の母親を死なせたことによる絶望なのか、見捨てられ続けた子供が現実を認められないだけなのか、それは私にはわからない。きっと死んでもわからない。
 篠宮秋というのは、そういうどうしようもないやつなんだと、どれだけ絶望してても希望の存在を諦めきれない根性悪なんだと、私は改めて知った。
 ただ立ち続けることは難しい。前を向いて歩き続けるならなおのことだ。それをやめさせるには絶望があれば事足りるが、絶望に蝕まれながら希望を抱き続けることは難しい。
 生き汚いと切って捨てることもできるだろうけど。そうすることができるのも、心の強さ故だ。
「鈴ねえと苺がいるなら、あの人はいらない。でもあの人がいなくなったら、苺がいなくなる。僕にそんな選択はできない。僕らはパートナーだ。それもこれもあの人の計算通りなんだとしても、僕は君をパートナーと認めた。それは僕の決断だ」
 そこに何者の意志があろうとも、そんなものは関係ないということか。
 それこそ出来レースに乗せられているだけだ、という言い方も出来るだろうけど。秋は違うと言うだろう。私も違うと言えるようになりたかった。
「正しさなんていらない。正しいものになんて興味もない。僕はただ、自分が信じるものに従う。……理想論でしかないけれど」
 現実はまだそうではなくても、いずれそうしてみせるという意気込み。
 それが希望だというのなら、危なっかしい限りだけれど。
「まったく、あんたはしょうがないわね」
 溜め息を吐いて呟く。まったくもって、しょうがない。
 放っておけないというのも、また事実だ。私は私で私なりに、篠宮秋という存在を必要としているようだし。
 それは、秋が私の過去を知っているから、ではないだろう。それもあるかもしれないけれど、きっとそれだけではない。
「まあ、あんたは初めて会った頃からそんなだったから、いまさらどうもこうもないけれど。確かに、あんたは私のパートナーだわ」
 私は自分の気難しさを知っている。過去、研究所で虐待されたせいにしていることもわかっている。
 それでも秋は、秋ならそれを知ってもなにも変わらないんじゃないかと、そう思う。そんなことを知ったところで、ああ、そう、とむかつくぐらい無関心に頷くだけだろうと、そう思う。
 それでも秋は怒るのだ。誰のためにでもなく私のために。
 それならいいんじゃないかな、と思う。誰か一人ぐらい、私のために怒ってくれる人がいてもいいんじゃないかな、と思う。
 どうせ理不尽と戦わなければならないのが人生なら、私が完全機械化兵であるということよりも、過去、秋の知り合いだったことと戦うほうがなんぼもましだ。
 過去を清算しようと努力しているのが自分だけなのは知っている。"私"ではない"私"の存在を認められないのは、それの否定が"私"の始まりになると思い込んでいるだけだ。
「……なんでかしらね。私、あんたのことが好きみたい」
「酷い言い草だね」
「理由なんてわからないんだからしょうがないじゃない。まったく、自分の物好きさに呆れちゃうわ」
 できることなら、この感情が"私"ではない"私"のものではないことを願うけど。
 それならそれでもいい。"私"は等しく"私"なんだから。
 "私"が"私"であることに意味なんてない。価値だってないだろう。
 それでも"私"は"私"だ。
「それで?」
「それでって?」
「どうする? 昔話、聞きたいんだろ?」
「ああ」
「ああって」
「いや、まあなんか。どうでもいい気がしてきて」
 まだ変わらないでいたいという、臆病な考えではあるんだけど。
 もう少し、このままでもいいんじゃないかという気がし始めていた。
 それで変わるのは私だけだから。私はもう少し"私"になってみたい。
「まあ、苺がいいならいいけど」
 やはり興味なさそうに言って、秋は立ち上がった。
「それで?」
「それでって?」
「僕、そろそろ眠いんだけど」
 ……この状況で言うことはそれだけかい。
 そう突っ込みたかったけれど、それもなんだか薮蛇すぎたので、ぐっと堪えて飲み込んで、勢いよくベッドから飛び降りた。
「邪魔したわねっ」
「……なんでそこで怒るかなあ」
 ぼやく秋を後目に、部屋を出る。
 引きつったように笑う頬を抑えながら。