ちょっとした矛盾 ciel-side



 私は本当にあなたのことが好きなんでしょうか。

 私はいま、自由だ。
 そんなことを噛み締める。
 自由になんて大した意味はない。価値だってない。そんなことは知っているけれど、それでもいま、この瞬間、何者にも束縛されることのない瞬間が訪れたことに、安らぎすら感じていた。
 それは、彼があいつを殺したからで、私を不自然な生へと繋ぎ止めていた鎖を断ち切ってくれたから得られた安息である。
 彼には感謝していた。いや、感謝しているはずだった。
 それなのに私の心は、思ったよりも沈んでいる。折角自由を得たというのに、私を捕らえていた呪いから解き放たれたというのに、なぜだかあまり、嬉しくない。
 ようやく私は死ぬことができるようになった。そんなことを考える。
 ずっとそれを望んでいた。生き返ったあの時から、そして自分は死ぬことができないと知ってから、ずっとそれだけを望んでいた。
 はずなのに。やっぱり私は、嬉しくない。
 死にたくないから? そうではないと思う。
 自分の手で始末をつけられなかったから? それがないとは言わないけれど、それでもないと思う。
 私はこんなところでなにをしているんだろう、とぼんやりと考える。あいつが死んだ以上、私がこの地に留まる理由はない。これからまた別の任務に付き、死徒を滅ぼさなければならない。そんなことは理解している。
 それなのに私は、ここを離れる気にはなれないでいる。
 なぜ。どうして。これからの私は、ようやく自分の意志で……自分の意志で、死徒を、殺すのか。憎しみの根源が排除されたいまもなお、それに束縛され、死徒を殺すのか。
 怖気が走った。いままでずっと考えないようにしていたことが現実になってしまったことを知った。
 そうか。いままでは死徒を始末することは復讐の二文字で安易に正当化できたけれど、これからは私が、私の意志で、神の名の元に実行しなければならないのか。
 殺したくない、というのとは違う。死徒のような穢れた存在を始末することに異論はない。私にその力があるのなら、自らの手でそれを実行することに躊躇いなどない。
 ただ、私にはそれ以外の選択肢がないのだ。そうしなければならないのならそうするが、それ以外のなにものをも選ぶ権利がないのだ。
 私は、それこそが悲しい。この身を自由へと導いた存在こそが、新たに私を束縛する存在に成り下がってしまったから。
 ああ、私には救いなんてないのだと。そう思い知らされて。
 だから私は、いまだにここに留まっているのかもしれない。

「……先輩、帰るんじゃなかったんですか?」
 何食わぬ顔で食堂にいたら、怪訝そうな遠野君に声をかけられた。怪訝というか、脱力系というか、なにを言っても無駄なんだろうなと諦めているというか。
「いろいろありまして。もう少しいることにしました」
「……そんな簡単なもんなんですか?」
 簡単ではない。裏工作だってした。
 それでも私は、まだここにいたいと思ってしまったのだからしょうがない。
 答えずに微笑んで誤魔化す。露骨に回答を回避すれば、遠野君はそれ以上突っ込んではこないと知っていた。
 それに、好都合にもこの街にはアルクェイドが逗留している。監視だのなんだの言い出せば、教会もそう文句は言えない。
 それは、本来なら狩りを終えて眠りにつくはずのアルクェイドがまだ覚醒しているからであり、教会としては、それを軽度の事態としては捉えないだろうという推測に裏付けられた裏工作だった。失敗するはずがない。
 ただ、皮肉にも、アルクェイドがこの街に残留しているのは、とりもなおさず目の前の少年(というか青年というか微妙だけれど)と付き合っているからだ。彼に好意以上のものを感じている自分としては、複雑である。
「まあ、いいですけど。正直、先輩が残ってくれて嬉しいですし」
 言いながら、隣の席に腰を下ろす。お盆には蕎麦が載っていた。
 遠野君はこういう時、本当にずるいと思う。普通の人なら恥ずかしくて言えないようなことを、あっさりと言ってのけてしまう。私は顔が赤くなっていることを隠すために、わざとらしく俯きながらカレーを口に運んだ。
 あなたのために残ったんです、と言えれば、少しは楽になるのかもしれない。あるいは、そのほうが辛いことになるだろうか。
 どちらにしろ、彼はアルクェイドのものだ。……いまのところは。
「仕事のほうは大丈夫なんですか?」
「遠野君に心配されてしまうなんて。私そんなにいい加減に見えるんでしょうか」
 いや、そんなことはないけどと、しどろもどろになりながら釈明する。遠野君が意地悪でそんなことを言うわけがないのは知っていた。だからこれは、私からのささやかな嫌がらせでしかない。
 アルクェイドが幸せなことが憎たらしいのか、遠野君が相変わらずなことが憎たらしいのかはわからないけれど。
「だってもう、この街には吸血鬼なんていないんでしょう?」
 さすがに声を潜める。とはいえ、大っぴらに言ったところで、誰がそれを本気にするとも思えない。結局はそれは、非日常の存在でしかないのだから。
 遠野君にとっても、だろうけど。
「一匹いるじゃないですか。とんでもないのが」
 うっ、とうめいて、なんだかよくわからない釈明を始める。私は欠片も聞かずにカレーを食べる。ここの学食のカレーはなかなか私の味覚にはマッチングしていて好ましい。
 麺、伸びますよ、と素っ気無く指摘して、それからしばし、無言の食事タイムとなった。そう、食事とは静かにするものである。
 カレーを平らげ、ごちそうさまでしたと両手を合わせてお辞儀し、何食わぬ顔で席を立とうと思ったら、すかさず手を掴まれてしまった。素早い。
「どこに行く気ですか?」
 器用にも、蕎麦を咀嚼しながら淀みなく喋っている。口の中がどのような動きをしているのか興味があるようなないような。
「食事は終わったから、教室に戻るんです」
「教室なんてないくせに」
 あっさりと指摘してくる。悪気がないあたり致命傷だ。
「ええ。どうせ私には授業を受ける資格なんてありませんから」
 催眠術で潜入し、生徒の一人であるかのように振舞う分には問題はないが、実際にはどこのクラスに所属しているわけでもない。最高学年だという刷り込みはしているが、どこのクラスかまでは設定していなかった。
 そんなことをする必要なんてなかった。私はここに、授業を受けに来ていたわけでもなければ、遊びに来ていたわけでもないから。
「いや、そういうことじゃなくて……」
 そう言いつつも、言葉を続けられない。それはつまり、そういうことだ。
 遠野君は私の事情を知っているから、私に同情してくれているんだろう。でも私が彼から欲しいのはそんなものじゃない。他の人なら、同情だろうとなんだろうと気にならないけれど、彼からだけは、そんなものを受け取りたくはない。
 それじゃあ私がみじめなだけだから。これ以上みじめになんてしてほしくない。
「もう少しで食べ終わりますから、待っててください」
「……はあ」
 それは全然理由にはなっていなかったけれど、同意しなければ手を離してもらえそうになかったから、諦めて腰をおろす。
 遠野君はようやく両手で蕎麦との格闘に戻った。遠野君の食事時間は意外と短い。身体に悪そうな早さで平らげる。まあ、麺類だから早いのかもしれないけれど。
「部室、開いてますか?」
「茶道部のですか? 開いてませんけど、開けられます」
「じゃあ、行きましょう」
 そんなところに連れ込んでなにをする気だろう? ちょっとドキドキしていたら、私の分のお盆も持って、返却口に返しに行ってしまった。素早い。
 何気なくフェミニスト……いや、女尊男卑ともいえるほど、遠野君の行動は全般的に女性に対して甘い。優しいだなんて言ってやらないのだ。本当に優しいのなら、彼はあんなに傷つかずに済んだんだから。
「お待たせ」
「はい。じゃあ行きましょうか」
 戻ってきた遠野君の腕をさり気なく捕まえて胸に抱く。ちょっと驚いたのか、一瞬身体を引いたけれど、何も言わずにされるがままになってくれた。
 やっぱり、甘いんだから。
 それでも気分は悪くなかった。普段はともかく、いまこの時だけは、彼は私のものになったんだから。

 茶道部の部室は現在、正式には誰にも使われていない。
 置いてあった道具にしろ、ろくに手入れもされていなかったから、わざわざ私費を投じて新しいものに変えている。
 そこまでする気は、あんまりなかったんだけど。遠野君と利用するようになってから、ちょっと奮発したのだ。
 最初は、校内で隠れるための場所として使っていた。だから実際には、お茶の作法だとかいうものはいまだによく知らない。お茶にしたって、抹茶を点てるわけでもなく、ティーパックで紅茶を飲むような不届き者だ。
 それでもここには、遠い昔になくしてしまったものがある気がした。環境を整えてしまったのは、そのあたりが関係しているのかもしれない。
 感傷にすぎないのかもしれないけれど、それはそれで、私には必要なものだった。
「どうぞ」
「頂きます」
 とりあえず正座をしている。私たちの前には湯呑みが置かれているが、中身はコーヒー(しかもインスタント)だ。いい加減なものである。
「なんか久しぶりですね、ここも」
「ええ、そうですね」
 前に来たときは、私はここでロアに殺されていた。なんとも忌まわしい思い出のせいで、自然と足が遠のいていた。……のは遠野君だけで、私自身はそれほどなんとも思っていなかったりする。死んだことをいちいち気にしていたらおちおち生きてもいられない。
「それで?」
「はい?」
「なにか用事があるんでしょう? わざわざこんなところに連れ込むんですから」
 それに、いまは昼休みだ。そうそうのんびりもしていられない時間なのである。
 それでも遠野君は、あまりそれを気にした様子もなく、ずずっと音を立ててコーヒーを啜った。行儀が悪いと思う。
「連れ込む、って言ったら、連れ込まれたのは俺のような気がしないでもないですけど」
 確かに、鍵を開けたのは私だ。そう言ってしまえばそうかもしれないけれど、でもそれは絶対におかしい。私は頼まれたから開けただけであって……そういう意味で言えば、遠野君が私をここに連れ込んだわけでもないけれど。
 それに、遠野君は話を避けようとしている。自分から振っておいて。
「じゃあ、単刀直入に。先輩は、いまでもアルクェイドを恨んでいますか?」
 それはあまりにも単刀直入すぎる。そう文句を言いたくなるほど核心を突いた問いかけだった。
「俺がこんなことを聞くのは筋違いだってわかってます。でも俺は、気になるんです。先輩も俺にとっては大事な人だから」
 そういうのを殺し文句というんです、と突っ込んでやりたくなった。
 死ねなかった頃の私も、こうやって遠野君にやられてしまった。いまではもう、彼が望むのであればなんだって叶えてあげたいとすら思っている。彼のためなら、どんな恥ずかしいことだってできると思っている。
 でも、それとこれとは話が別だ。
「私は、アルクェイドを直接的に恨んでいたことはありませんよ」
 私を殺したのはロアだ。ロアの血を吸ったアルクェイドじゃない。
 そのロアはもう死んだ。アルクェイドを恨む理由なんて、ない。
 なかった、と言うのが正確だけど。
「でも、私はアルクェイドを狩らなければならない立場にあります」
 堕ちた真祖、血の味を覚えた真祖は、本来例外なく始末するべき存在である。
 教会がそれを実行していないのは、アルクェイドがあまりにも強力な真祖であり、その全能を持って吸血衝動を抑えていたからにすぎない。
 それでも、どれほどの力を持っていたとしても、一度でも血を吸った真祖は、それの持つ忌まわしい誘惑に耐え切れなくなる。そうなる日が必ず来る。
 事実、ロアとの戦いの中で、アルクェイドは無様なほどに脆弱だった。吸血衝動を抑えることに力を割り当てたせいだ。
 もちろん、だからこそ遠野君はアルクェイドが殺せたんだろうし、それがあったせいで、アルクェイドの弱体化は促進されたのだろうけど。
「それは、教会とかいうところの命令があれば、先輩はアルクェイドを殺すってこと?」
「そうです」
 遠野君の質問が、あまりにも冷静すぎて、逆にいぶかしむ。
 私は、恋人を殺すと言っているのだ。どんな理由があるにしろ、それは拒否されるべきことなのではないだろうか。
「もしそうなったら、俺はアルクェイドと一緒に戦うことになるけど。それでもいいかな?」
 それ自体は予想していた事態だ。遠野君の性格を考えれば、相手が何者であろうとも、自らの大事なもののためなら命だって賭けるだろうと、そう予想していた。
 私にとって、それが思ったよりもショックだっただけで。
「いい、とは? いいも悪いもないんじゃないですか? 私にとっては、ただの仕事ですから」
 そうだ。死徒を始末するのと同じことだ。堕ちた真祖を狩ることもまた、教会の、埋葬機関の職務の内である。
 仕事にいいも悪いもない。職業に貴賎なしというではないか。
「俺は、アルクェイドに血を吸われなくてもアルクェイドのために戦うけど、それでもいいかな、って意味」
「どうぞ、ご自由に」
 それこそ、いいも悪いもない。死徒に味方するものは、すべて等しく敵でしかない。
「つまり、先輩は、それが敵であれば、吸血鬼だろうと人間だろうと、等しく処分する、ということですか」
「いままでだって、そうしてきましたから」
 吸血鬼の味方をする人間というのは、それほど少なくはない。その大半は、吸血鬼の持つ永遠の命に惹かれる愚か者だ。
 永遠の命。そんなものになんの意味があるというのか。
 そして私は、それらを例外なく葬ってきた。悪の芽は摘まなければならない。
 吸血鬼に生贄を捧げてまで自らの延命を望むような連中だ。躊躇も葛藤もそこにはない。
「それでも先輩は、俺を殺したら悲しむよ」
 ……よくわからない確信を聞かされた。一瞬、なにを言っているのか理解できなかった。
「なんですか? それは」
 悲しむ理由などない。吸血鬼の味方を殺したところで、悲しむ理由など。
 もったいない、とは思うかもしれないが。
「なんとなくです。だけど自信があります。先輩は、俺を殺したいとは思っていない。少なくとも、吸血鬼の味方としては、ね」
 やけに強気なのに、なんとなくだなんて言われてしまったら、反論することもできない。論理立っていないものに論理で返すことはできないから。
 湯飲みを手に、静かに私を見つめる遠野君を見ながら、彼は本気なんだな、と思った。どんな理由があっても彼には私を殺せないけれど、私は彼を殺すのに大した理由を必要とはしない。
 それを承知の上で、尚本気なのだ。自分は殺されてもいいけれど、自分を殺すことであなたが辛くなるのはイヤだと、そんなわがままを言っているのだ。
 本当に遠野君は、ずるい。
「だからって、私はあなたに味方することなんてできませんよ」
 職務上という意味でも、気持ちの上でもという意味でも、それはできない。そればっかりはどう頼まれたところでできはしない。
 アルクェイドに直接の責がないことはわかっている。アルクェイドもまたロアの被害者であり、ただ私怨によってロアを追っていたということも理解している。
 その境遇が私と似ていることも。
 だけど、そういう問題ではないのだ。それだけの話ではないのだ。
 アルクェイドの事情はどうあれ、彼女が過ちを犯さなければ、私は死なずに済んだのだ。いまここでこんな想いをすることもなければ、好き好んで吸血鬼などという化け物に関わらずにも済んだのだ。
 逆恨みだというのはわかっている。だけどそうでもしなきゃ、やってられない。
 だって、あんまりじゃないか。
「そこまではお願いしません。ただ、敵にならないで欲しいだけです」
 諦観というにはあまりにも悲愴だった。真剣すぎて怖いぐらい、遠野君は静かにそれを受け入れていた。
 まさか。
「アルクェイドは……吸血衝動を抑えられなくなっているんですか!?」
 そうだとしたら、それこそ一大事だ。
 そして遠野君は、なにも言わなかった。この場合は、肯定の沈黙だ。
「そういうこともあるかもしれない、というだけです。実際に兆候があるわけじゃありません」
 苦しい言い訳だ。遠野君自身、その言葉を信じてない。
「もしそうだったとしても、俺は先輩とは敵同士になりたくないんです。ただそれだけです」
 そしてそれは、本心だろう。彼は結局(直死の魔眼なんてものを持ってるくせに)誰も傷つかなければいいと思ってるような人だ。
 天はニ物を与えずというのは、こういうことを言うのかもしれない、と思う。殺すための能力を、殺す意志のないものに持たせる。あるいは、殺す意志がないからこそ、殺すための能力を持つことができる。
 奇妙なバランス感覚だけど、それはそれで、きちんとバランスが取れている。誰がなんのために、とか、そもそもそんな能力なんてなければ、とかいう疑問を除けば。
 前者はともかく、後者にはそれなりの答えがある。そういう能力も持てる存在でなければ、人間は進化もできなかったということだ。
 足が早いとか、頭がいいとか、そういうのと同列の問題なのだろう、きっと。ただ、スケールが違いすぎて、同じものには見えないだけで。
「話はそれだけです。お邪魔しました」
 湯飲みを置いて、立ち上がる。私が対処を決めあぐねている隙に、遠野君は出て行ってしまった。
 私はどうすればいいんだろう。答えは出ているはずなのに、見つけられなかった。

 とりあえず、こういう場面をセッティングしなければならないことはわかっていた。
「あんたが私を呼び出すなんて珍しいじゃない」
 夜の公園の、なぜかいつもそこで会う気がする噴水の前で、アルクェイドと対峙する。
 呼び出したのは私だ。遠野君はなしで、と伝えた通り、一人で来たらしい。
「今日は、仕事です」
 仕事、なのに、本題に入れないでいる。アルクェイドを待ち構え、一時間以上も前からここにいた。どうすればいいのかを考えながら、答えが出せなかった。
 細かい事情は無視して、自分はどうしたいのかだけを考えても、わからなかった。不様だ。
「教会から指令でもきたの? 私を殺せって」
 以前のアルクェイドなら、私と対峙しただけで狂気じみた殺気を叩きつけてきていた。いや、それ以前に、私からの呼び出しに、素直に応じるなんてこともなかっただろう。私(埋葬機関の人間)が吸血鬼(狩るべき対象)を呼び出す以上、そこに罠が仕掛けられているのが当たり前なんだから。
 いまのアルクェイドには、警戒している様子などまるでなかった。ただ、友達に呼び出されたから出てきたという風情だ。
「確かにいまの私の任務はあなたの監視です。ですが、殺すかどうかを判断する権利は私に一任されています」
 嘘をついた。そんな権利は私にはない。
「そこまで教会に信頼されるようになったんだ」
 ただ事実のみを指摘する言葉に、同情が混じっていた。
 抜け出せない道があり、それに踏み込んでいることがわかるからだろう。埋葬機関に関わることも、真祖が人間の血を吸うことも、大差などない。それは一方通行の選択肢だ。
 一度関わってしまえば、死ぬまでそれに囚われる。私には、最初から選択肢なんてなかった。
 選べるとしたら、組織の中での地位を上げることだけ。
「私があなたの監視を買って出たのは不信がられましたが……最終的には納得したようですね」
 なにしろアルクェイドは、協力的な真祖だ。いや、そもそもが真祖とは協調関係にあったというから、それは別段おかしな話ではない。
 ただ、私にはアルクェイドを恨む理由があり、アルクェイドには私を許せない理由がある。だからこそ疑われる理由もあるし、だからこそ納得される理由にもなる。
 監視というのは、裏を返せば有事の際の始末係だ。アルクェイドが暴走した時、他の誰でもない私こそが始末を望むだろう、と判断されたんだろう。
 下司の勘繰りもいいところだが、それが望む結果を導いたというなら、あえて否定する必要もない。
「ふうん。まあ、いいんだけどね。教会になんて興味ないし」
 敵対するなら、戦うだけ。アルクェイドにとって敵とはそういうものだ。同族にすら仲間はおらず、吸血鬼を狩る真祖として生まれた時から、彼女には味方なんていなかった。
 打算を含んだ緩やかな協力関係ぐらいはあるだろう(おそらくは協会とはそういう関係になるはずだ)。だが、あってもその程度のもので、だから彼女は、遠野君を得たことにより、吸血衝動を抑えるために眠りにつくべきなのに、それができないでいる。
 それが幸せだというのなら認めたっていい。夢を見る権利ぐらい、誰にだってあるはずだ。
「それで? 何の用なの?」
 問われても、答える言葉がない。私はまだ、答えが出せていない。
「やっぱり、私のこと殺したくなった?」
 寂しそうな微笑みだった。吸血鬼のくせにと罵倒したくなるほど、幸せそうな微笑みだった。
 アルクェイドはもう、私のことを許している。いや、ロアさえ死んでしまえば、最初から私のことなんてどうでもよかったんだろう。アルクェイドは別に、ロアの転生体が生きていようが死んでいようが興味なんてない。ただそれがロアであるなら殺す、というだけだ。
 そうして殺された恨みは、まだ私の中に残っている。だけど、本当にいまさらだけど、私は気づいてしまっていた。殺されたことに感謝していることに。
「あなたを殺しても、私にはメリットがありません」
 嘘だ。誰よりも私が、それが嘘だと知っている。
 遠野君が欲しいと思ったなら、アルクェイドを殺さなければならなくなる。だけど、アルクェイドを殺したところで、遠野君が手に入るわけじゃない。
 それでも私は、欲しいと思ってしまう。超常の能力を持ち、日常の住人として過ごし、アルクェイドのような化け物でさえ普通の人間として受け入れてしまえる彼を。
 彼は私を人間として扱ってくれるから。埋葬機関の一員となってから、人間であることを否定し続けられている私が、唯一人間に戻れるから。
 だから私は、アルクェイドを憎まない。これはただの、嫉妬だ。
「じゃあ、なにしに呼び出したの? 世間話?」
 私とアルクェイドの間にあるものは、闘争だ。殺すか、殺されるか、滅ぼすか、滅ぼされるか、そういった血生臭いものでしかない。
 例え個人的な憎しみがなかったとしても、私たちの立場はそれしか許さない。
 不自由だ。例えようのない窮屈さを感じていた。
「あなたが……あなたが、吸血衝動を抑えきれなくなりつつあると聞きました」
 どうしようもない言いづらさがあった。それなのに私は、それがなにに起因するのか理解も説明もできない。
「……志貴、かな? まったく、普段はにぶちんなのに、妙なところだけ鋭いんだから」
 アルクェイドは否定しなかった。否定して欲しかった自分に気づいて、ショックを受ける。
 自分はいつからアルクェイドのことを対等と見なしていたんだろう。ロアが死んで、私たちの関係が劇的に変わったということもあるんだろうけど、それだけではこんな変化にはならないように思えた。
 やっぱり、そこには遠野君が絡んでくる。私とアルクェイドを綺麗に橋渡しできるのは、遠野君しかいないから。
「それで、なにが問題?」
「なに、とは?」
「私が堕ちた真祖になること? それとも、私が志貴の血を吸うこと?」
 両方だ、と思ってしまい、慄然とする。後者はともかく、前者は問題にはならない。災厄と化した真祖を滅ぼすことは、躊躇う必要のない業務の一貫だ。
 私は、アルクェイドに血を吸って欲しくないと思っている。化け物にならないでいてくれれば、と思っている。
 なんてことだ。なんてエラーだ。それは、あまりにも……あまりにも、致命的じゃないか。
「志貴は、私に言ったよ。血を吸ってもいいって。本当に我慢できなくなったら、血を吸ってもいいって」
 遠野君ならそう言うだろう。吸血鬼と戦ったり、それこそ付き合ったりしてるくせに、結局は何一つ理解なんかしていない能天気なんだから。
 吸血鬼が、真祖が血を吸うというのは、そんなに簡単なことじゃない。それでも遠野君は、事の重大さを理解したって、同じ事を言うに決まってる。
「その代わり、他の人には迷惑かけるなよって。そう言ってた。……なんでかな」
 最後の一言は、本心からの困惑だった。
 アルクェイドには、わからないんだろう。そこまでしてアルクェイドの欲求に応えようとすることも、自分のことはどうでもよくて、他人のことを守ろうとすることも、なにもかもが理解できないんだろう。
 私にだってわからない。わからないけれど、わからないのに、とても遠野君らしいと感じていた。
「志貴の寝顔を見ながら、いつも思う。血を吸いたい、血を吸いたい、血を吸いたい。志貴を私だけのものにして、私も志貴だけのものになって、そうやって死ねるんならそうしたいって、いつも考える」
 後ろで手を組み、足元を確認するように歩き出す。
 疲れたとき、人間がそうして気分転換するように。歩くというプロセスを経て、思考をクリアにしていくように。
 雑多な考えを歩くという行為に紛れ込ませて、ただ思考するための思考を得るために。
 それだけアルクェイドは真剣ということだ。
「でも……でも、私には志貴を殺せない。殺したくなんてない。そう思うと、泣きたくなるんだ」
 なんだこれは。これはなんの冗談だ。
 吸血鬼が、狩人に、心の迷いを吐露するだなんて。
 しかもそれは、吸血鬼としては致命的な迷いだ。
 人を殺せないだなんて。
「志貴はいま生きていて、だからこそ志貴で、死んじゃったり、死徒になったりしたら、それはもう志貴じゃなくて。私は志貴が好きで、だから殺したいんだけど、殺しちゃったら志貴じゃなくなっちゃうから、それはとてもイヤで。……なんなのかな? 私はどうして、人の血を吸う化け物なのかな?」
 アルクェイドは、その生まれからして、吸血衝動を否定するための存在だ。吸血衝動に堕ちた真祖を滅ぼすためのスレイヤーとして機能することを義務付けられた存在だ。
 それでも、真祖は真祖でしかなかったということである。どれほど否定したとしても、真祖は真祖であることからは逃れられない。
 吸血鬼にとっての愛はそういうものだということだ。生きて得られる喜びなんてものはなく、ただ死の瞬間にだけ己の生を見出す。
 それは、自分の死であっても、愛する者の死であってもいい。ともあれ、吸血鬼は人を殺す存在だ。
 殺すべき存在が殺せないのだから、それはもう、死と同義だ。
 宿命に縛られた足枷だらけの存在。その身を表すのは真祖最強の称号ではなく、ただの吸血鬼。
「一緒にいればいるほど殺したくなる。わかってるんだ。私は、眠りにつかないとこの吸血衝動を抑えきれない。でも、今度眠りについたら……もう二度と、志貴には会えない」
 アルクェイドはもう、眠りにつく意味も、目覚める意味も持ち得ない。ロアを死徒にしてしまったその時から、真祖としてのアルクェイドは死に、スレイヤーとしてのアルクェイドは、ロアを殺すことだけを目的とするようになってしまったから。
 スレイヤーである以上、アルクェイドは自らを処断しなければならない。それすらもできずにこの街に留まっているのは……
 未練だ。私と同じ。
「なにが正しいのかもわからない。志貴は私に殺されてもいいって言うけど、それは殺せって意味じゃないのもわかるから。私が殺さないってわかってるから殺してもいいだなんて……残酷だよね」
「でも、だからこそ遠野君です」
 矛盾に似ているが、そうではない。殺されないとわかっているから殺してもいいと言っている。それは最低限の保証がある上での発言のようだが、そういうわけでもない。
 アルクェイドは遠野君を殺さないだろうけど、それでももし殺すことになったとしても、遠野君はそれを受け入れる。遠野君は殺されないという保証を受けている側なのではなく、あくまでも殺されることを保証している側なのだ。
 だからますます、殺せなくなる。抑止力としては完璧に近い。それでも殺すことになったとしたら、それはもう、どうしようもない状況だということだ。
「私なんて、ただの吸血鬼なのにね」
 そう言ったアルクェイドは、いままで見てきた中で一番寂しそうに微笑んでいた。
 私はなにも言えなくなって、俯く。
「ねえ、シエルはどうしたらいいと思う?」
 私にそれを聞くのか。吸血鬼退治の専門家である私に、吸血鬼であるお前がそれを聞くのか。
 血を吸えなどと言えるわけがない。だからこそ問われているのだとしても、頑張りなさいと言う義理はない。言えたものでもない。
 私はなんなのか、と考える。埋葬機関の一員だ。吸血鬼を憎む者だ。
 目の前の吸血鬼は、遠い日の私と同じだ。自分がしてしまったことを抱え込んで、未来を選べないでいる。
 それでも行動しなければならないのだ。生きているからには。
 問題なのは、どうやってそれをしたか、ということだが。
「少なくとも、あなたが死んでも、遠野君のことを心配する必要はありませんね」
 全然関係のないことを答えてしまう。
「私がいるからって? それもきっついね」
「あなたは自分の立場を自覚するべきです。吸血鬼云々もありますが、遠野君の恋人なんですから」
 屈辱的なセリフだな、と冷静に考える。冷静だということは、自分はそれほど嫌なわけじゃないらしい。
 どうしても欲しいと思うほどには、遠野君を望んでいるわけではないようだ。
 それはきっと、些細なプライドに過ぎないんだろうけど。それでもそれが、私を救っている。
「人間の恋人と吸血鬼の恋人じゃ、意味が全然違うでしょ?」
「あなたは吸血鬼で、遠野君は人間だというだけです。意味が違うというのなら、遠野君を殺したらどうですか? そのときは私があなたを殺しますが」
 あははは、と笑いながら、アルクェイドは怒りもしない。
 怒らせているんだ。私は、アルクェイドを怒らせようとしているんだ。
 それがどうしてかはわからない。ただ、アルクェイドが怒りに任せて私を殺してくれたなら、と思っている。
 そうすれば……遠野君はきっと、アルクェイドを責めるから? たぶん、そうなんだろう。そんな些細な嫌がらせのために死んでもいいと思っているんだろう。
 一番くだらないのは私だ。アルクェイドの相談を受ける資格なんてない。
「一番いいのは、眠りにつくことです。そうすれば……」
「そうすれば?」
「……なんでもありません。ともかく、あなたは遠野君を殺さずに済みます」
 言い淀んだのは、私はあなたを殺さないで済む、なんて屈辱的なセリフを言いそうになったからだ。
 そして私は、自分を支えていた芯がもう折れてしまっていることを知った。
「それは、私にとって一番いい解決、ってやつだよね」
 それがわかっているから、アルクェイドも眠りにつけない。
 その方法で一番傷つくのが遠野君だとわかっているから、アルクェイドはそれを選ぶことができない。
 いっそ一緒に眠ってしまえばいいんだ、と思う。そうすれば私は、なにも思い煩うことなく狩人としての仕事に戻れる。
 遠野君はそれを許容しないだろう。進まないことは、後戻りすることよりもなお悪いと思っているから。
「ベストな解決がないのであれば、ベターな方法で妥協するしかないのでは?」
「それができれば苦労しないんだけど、さ」
 結局、何も出来ない、ということだ。そしてそれは、アルクェイドの寿命を縮め、遠野君を危険にさらすことを意味している。
 二人はもう、どこにもいけない。絶望という結末を知りながら、それを回避することができない。
 最後の選択肢は、どちらがより傷つかないでいられるか、だけだろう。そしてどちらも、相手こそがそうあるべきだと考えている。
 それが恋愛感情と呼ばれるものの結論だというのなら、これは悲恋劇だ。始まる前から終わっている物語だ。
 誰も傷つかない方法なんてないと最初からわかっていた。
 人間と吸血鬼の恋物語の結末なんて、所詮そんなものだ。
「どちらにしろ、あなたは遠野君を殺すわけですね」
「うん。そうだね。きっと、そうなるんだよね」
 諦めているのは誰だろう。おそらく私こそが一番諦めていて、諦めて欲しいと思っていて、遠野君が一番諦めが悪くて、アルクェイドは右も左もわからずにオロオロしているだけだ。
 そうでなければ、私にこんな話をするはずもない。アルクェイドも遠野君も、お互いに相手のことが大事で、相手が自分のことを大事に思っていることが当たり前だと思っている。
 馬鹿馬鹿しい。深刻な話題のくせに、その実体はただのノロケだ。
 誰もなにも間違えなくたって、悲劇になってしまうこともある。これもまた、そういう性質を持っているものだったということだ。
「どうしても遠野君を殺したくないなら、一つだけ方法があります」
「へえ。どんな?」
「私があなたを殺します」
 瞬間、湧き上がったのは真性の殺気だ。物事を考える部分と身体を動かす部分が分離し、ハンターとしてのモードが立ち上がる。
 殺すために殺すための人格。埋葬機関の一員としての私は、普段の私とはまるきり乖離している。
 アルクェイドも、殺気に瞬応して、臨戦態勢に入った。
 が、すぐに殺気を納め、不思議な微笑みを浮かべた。
「そうだね。うん、そうだよね。私がいなくなっちゃえば、志貴も幸せになれるよね」
 それすらも受け入れるのか。それすらも受け入れてしまうのか。
 度し難い。それこそが悪なのではないかと思わせる感情だ。
 なにも生み出さなかったとしても、それが愛だという理由で肯定されてしまうことは、狂気に分類されるべきではないのだろうか。
「バカバカしい。自虐に付き合う趣味はありません」
 自分が言い出したことは棚に上げておく。この場をセッティングしたのも、遠野君を殺させたくないことも、同様に無視する。
 この対話こそが失敗だったのだ。私はアルクェイドを殺せない理由を見出し、アルクェイドは自分が死ぬ理由を見出した。
 後はなにもない現実にたどり着くしかない。用意されていた結末にしたがって、アルクェイドと遠野君は破滅する。それだけだ。
 それだけだということにしてしまうしかない。過程にも結末にも意味はなく、ただそうなるべくしてそうなるものなのだと。
「私を殺せないあなたには用なんてありません。せいぜい吸血鬼に落ちぶれなさい」
 それまで、私はなにもしない。私はただ、その時を待つ。
 私が初めて得たささやかな幸せが崩壊する時を、ただ一人で。
 アルクェイドに背を向けて歩き出す。自分はなにをやっているんだろうと思いながら。
「……ごめんね」
 なんのことかはわからなかった。
 ただ、慌てて振り返ったそこには、すでにアルクェイドの姿はなかった。

 答えは最初から決まっていた。ただ、私にはそれを選ぶ勇気だけが足りなかった。

 学校に来たら、また遠野君に捕まった。
「先輩。アルクェイドとなんかあったんですか?」
 あったような、なかったような。どう答えたものか考えあぐねている間に、遠野君は勢いづいてまくし立ててくる。
「昨日の夜、ふらっと出かけて。なにがあったかはわからないけど、帰ってきたあいつは、ずっと、謝ってばかりで。……なにがあったんですか?」
 それは、つまり……昨日の夜、遠野君はアルクェイドの部屋にいた、ということか。
 まあ、二人はそういう関係なんだから、それ自体はどうこういう話でもないけれど。遠野君はやっぱりちょっと、無神経すぎるところがある。
「先輩がなにかしたとか、そういうことを聞きたいんじゃない。ただ、なにがあったのか、なにを話したのかを教えて欲しいんだ」
 男の子の顔だなぁ、と思う。アルクェイド以外のなにも目に入っていない。私が遠野君のことをどう思ってるかすら、意識にない。
 ただ、アルクェイドのために。ここまで思われたら、吸血鬼だろうとなかろうと、女としては本望なんじゃないかと思う。
「アルクェイドは、なんて言ってましたか?」
 あまり、校門近くで続けたい話題でもなかったので、適当に歩き出す。遠野君もそのあたりは察してくれたのか、なにも言わずについてくる。
「なにも。なにも言ってくれない。ただずっと、ごめんって。ごめんねって謝るんだ。……泣きながら」
 それでもう、遠野君はいてもたってもいられなくなってしまったということだろう。いつから待っていたのかはわからないけれど、普段は遅刻ぎりぎりぐらいで登校してくる遠野君がこんな時間から学校にいるんだから、その心中は穏やかではないに違いない。
「一つ、確認させてください」
 足を止めて、振り返る。人のいい先輩の笑顔を浮かべながら、残酷な口調で告げる。
「それを聞いて、あなたはどうするんですか?」
「……どう、って?」
「アルクェイドが話したくないことを、私から聞き出して、アルクェイドをどうする気なんですか、ということですよ」
 ここまできて、アルクェイドをフォローしようとしている自分がいる。
 いっそのこと、全部打ち明けてしまえばいいのに。事実も推測もごちゃ混ぜにして、いい加減な推論をぶち上げて、遠野君を騙してしまえばいいのに。
 そうしないことが私のプライドだろうか、と考える。
 再び遠野君に背を向け、歩き出す。とりあえず、もうすぐ玄関だ。靴を履き替えてしまったら、さて、どうしようか。
「それは……」
「そんなことをしても、アルクェイドが困るだけですよ。私とではなく、二人で話し合うべきなんじゃないですか?」
「でも、アルクェイドは」
「話してくれないから、ですか? では、私なら話すとでも?」
 意地の悪い言い方だ。自分の陰険さにむかついてくる。
 それでも、こういう言い方をしなければ、遠野君にはわからない。いま自分がなにをすべきで、ここでなにをしているのか、なんてことは。
「いくら私でも、アルクェイドの内心まではわかりません。私とアルクェイドの会話を語ることはできますけど、それは、私の主観というバイアスがかかったものにしかなりません。アルクェイドの気持ちを知るために、そんなものが本当に必要ですか?」
 アルクェイドと遠野君の間に壁があるのは事実だ。お互いがお互いを尊重するあまり、二人の間に壁を作っている。
 それは、吸血鬼である、ということであり。
 それは、人間である、ということだ。
 だからアルクェイドは、吸血鬼である私にしか相談することができない。
 だから遠野君は、人間である私にしか相談することができない。
 そして私には、二人の仲を取り持つ理由なんてない。
「私はアルクェイドの敵なんですよ?」
 そして本当に敵だったなら、こんなことをいちいち解説するはずがない。
 わかっているけど、言わずにはいられない。二人には、幸せになって欲しいのだ。たぶん、本心から。
 理由は、歪んでいるけど。
「じゃあ」
 遠野君は、玄関の入り口で立ち尽くしている。他の生徒の邪魔になっているような気もするが、私も遠野君もそんなことは気にしていなかった。
「それじゃあ、なんで先輩は俺の話を聞いてくれるのさ?」
 それを聞くのか。遠野君が。
「あなたが好きだからに決まってるじゃないですか」
 吐き捨てるように言い切って、逃げるように玄関を後にした。
 自分が泣きそうな顔をしていることだけはわかった。

 夜の街を疾る。
 私の役割を果たすために。
 今夜、アルクェイドを狩る。
 そうすることが、私の使命だ。