ねこのきもち



 ご主人様は、昼寝の時でも、夜の就寝中でも、たまに、いきなり、目を覚ます。
 いまだって慣れはしないけれど、それでも驚くことは少なくなったそれは、ご主人様にとっては、あまりよくないことのような気がする。
 気が、するけれど。ご主人様は、それを嫌がっているようには思えなくて。
 だから私は、混乱してしまう。ご主人様を辛くしているなにかがあることはわかっているのに、それをどうにかしてはいけないのは、なぜなんだろう。
 それを、そのままにしておくことは、使い魔としては、正しくないことのような気がする。気がするけれど、でも、ご主人様の望まないことをすることは、やっぱり、正しくないことのような気がする。
 ご主人様は、なにも言ってはくれなくて。つらそうなご主人様を、ただ見上げることしかできない私の頭を、優しく撫でてくれる。
 私はいつも、それに満足してしまって。それ以上のなにかを、恐いとすら思っている。
 私の頭を撫でてくれている間は、ご主人様も大丈夫だと思う。だけど、それすらもしてくれなくなったご主人様は、きっと、なにかが、……なにかが、違う。
 そうやって、なにもかも背負ってしまうなんて。私には、わからないことだけど。でも、私を私としているもののように、それが、ご主人様をご主人様としているのなら、それが、必然であるのなら、やはり、私が出る幕は、ない。
 そんな、言い訳を、している。
 ただ、恐いだけだと。ただ、恐ろしいだけだと。知りたくないものを知ってしまうことを恐れているだけだというのに。私が、恐いだけなのに。それが、ご主人様のためだなんて。
 私は、使い魔で。夢を操る、夢魔だから。
 やれることも、やるべきことも、決まっている。

 夜中に、目が覚める。
 飛び上がる勢いで身体を起こし、不快な汗に塗れた額を拭いながら、溢れる涙は拭くこともできず、ただ、顔を伏せ、ただ、頭を抱える。
 自分がやってしまったことに追いかけられて、身動きすらできずに。罪の意識なんてものに苛まれながら、それを思い出す。
 彼女を貫いた時の、その肉の柔らかい感触を。
 それを望んでいたのか、と問われれば、否だ。それを望んでいなかったのか、と問われれば……やはり、否だ。
 殺したかったわけではない。だが、殺す以外の方法を持っていたわけでもない。それはきっと、殺したかったのだということになるのだろうけれど、それでも、助けたかったんだという気持ちに、偽りはない。
 ようやく知り合ったばかり、そんな人だった。
 自分のことを好いていてくれた。そんな人だった。
 自分は? 好きだったか? 愛していたのか?
 じゃあ、なにがしたかったんだ? ……殺したかったのか?
 すべてが、否だ。好きじゃなかった。愛してなかった。殺したくなかった。
 せめて好きだったなら、と思う。せめて愛していたなら、と思う。そういった能動的な感情をわずかでも抱いていたならば、これほどの悔悟はなかったのではないだろうか。
 ……そんな言い訳をする自分に、自己嫌悪で胸が押し潰されたような気分になる。息が止まり、大声でなにかを喚き散らしながら暴れたい気持ちを必死で抑えながら、心苦しさに、ただ、涙する。
 悲しいとか。辛い、とか。そういう涙では、ない。ない、はずだ。これはそんな、安っぽいものではないはずである。そうでなければならない。
 贖罪、なのかもしれない。こうして、彼女の死のその瞬間を想起しては心を抉られるような想いをすることで、彼女が少しでも許してくれるんじゃないかと、そんなことを期待した、自分勝手な、贖罪なのかもしれない。
 自分が辛いことを彼女が望むとは、思っていない。彼女はそんなことは、望みはしない……でなければ、殺されたはずもない。
 彼女は、食事だと言っていた。血を吸うことを、食事だと言っていた……
 その結果として、人が死ぬだけだと。そう言っていた。
 それに、否はない。自分だって、肉を食べることがある。それはつまり、家畜が死んで、そうなっているということなのだから。否など、あろうはずもない。
 自分が捕食される側になって、初めて、その行為を理解した。言葉では、字面では、理解したつもりになっていた行為は、そんな簡単でも単純でもないことを。自分が殺されるということは、彼女を殺すことを望んでいなかった自分にすら彼女を殺させるほど、確かな恐怖だった。
 ……それなのに、彼女は。自分に、殺されたのだ。
 ただ、辛かった。彼女は本当に、ただ、餓えていた。
 自分のようなポンコツですら、食事をしなければ生きていけないのだから。健康な彼女は、なおのことだっただろう。
 それでもまだ、自分は生きている。それにはきっと、意味があるはずだ。意味のある結果のはずだ。
 意味が、なければならない。彼女の死が無意味ではないことを証明するために。
 そうしてようやく、我に返る。呼吸を鎮め、汗を拭い、深呼吸をする。
 そんな自分のすぐ隣に、黒猫がいた。心配そうに、見上げられてしまっている……なんとも不甲斐ない「ご主人様」だと思われただろう。
 無理矢理にでも微笑を浮かべて、頭を撫でてやる。これがどんなに辛かろうとも、自分はこれをしなければならない。
 これからも生きていくために。……ただそれだけのために。

 暗い夜空に、死臭が満ちている。
 だからといって、目の前に死体があるわけでもない。
 ここは、ご主人様の夢の中だから。だからこの匂いはきっと、いまご主人様の心に満ちている匂いなのだ。
 むせかえるような血の香りと。どこか甘い、血の香り。それが、ご主人様が感じていたものに違いない。
 走る、走る、走る。ご主人様を探して、私は走る。ここにもいない。あそこにもいない。ここはご主人様の夢の中なのに、そして私は夢魔のはずなのに、ご主人様を見つけることすらできないでいる。
 それほど、知られたくないことなのかもしれない。なにもかもを隠してしまいたいことなのかもしれない。
 そう思うと、少し、罪悪感が募るけど。でもこれは、絶対に、必要なことなのだ。
 ……たぶん。
 どれだけ走ったのだろう。それとも、どれほども走らなかっただろうか。夢の中で、そういった概念は意味を持たないのだから、どちらでもいいけれど。
 そこに、ご主人様はいた。
 女の人を、抱き締めている。泣き叫びながら、抱き締めている。
 女の人は、胸にナイフを突き立てていて。ああ、ご主人様が殺したんだなと、漠然と感じる。
 事情はわからないけど。でも、見ているだけで、その辛さは伝わってきて。私もちょっと、悲しくなる。
「志貴君はもうずっと、ああなんだよ」
 声を掛けられて、はっとする。目が覚めるような思いで振り向くと、そこには、いま確かにご主人様に抱き締められている女の人がいた。
 ただし、この人は、髪を頭の両脇で縛っている。あそこで殺されている人は、それが解けてしまっている。外見的な違いは、それぐらいで。この人のほうが、そう……顔色が、いいかもしれないとか。瞳の色が、茶色だとか。そんなどうでもいい違いは、いくらかあるけれど。
 こんな不条理も、夢の中ではおかしなことではない。
「ずっとずっと、ああなんだ。後悔して、悲しんで、辛さに引き裂かれて。……あなたは、どう思う?」
 私は、夢の中では人間の姿をしているから。だから、そう声をかけられたんだろうけれど。
 どう、と聞かれても。私も、辛い。そうとしか言えないし、だからこそ、ここにいる。
「私は……きっと、志貴君の中にいる、もう一人の私。……よく、わからないけどね。あそこにいるのが吸血鬼になった私で、ここにいるのはきっと、人間のままの私」
 この女の人が言っていることはわかったけれど、言いたいことはまるでわからない。吸血鬼であるあの人と、人間であるこの人のことを、私はなにも知らないから。ご主人様の夢の中なのに、ご主人様からも分離して存在しているこの人の言いたいことなんて、わかるはずもない。
「志貴君の中では、吸血鬼になっちゃった私は、やっぱり、本来の私……つまり私のことだけど……とは、別になってるの。だから私は、志貴君の影響を受けないでここにいる」
 つまり……ここにいるのは、あくまでも私とご主人様だけで、この人は、ご主人様の中に残る、人間として生きていた頃の残滓でしかなくて、だから、この人は、もう死んでいて、ご主人様の想いをすら受け止めることができず、想いを投げかけることもできず、ただ、死んでいる。
 どれほど生きているように見えていたとしても、これは夢で。それは幻だ。
「私は、でも、あんな志貴君を望んだわけじゃない」
 厳しい、とはちょっと違う。険しい、ともちょっと違う。悲しいとか、辛いとか、そういう表情に、ちょっと似ている。だけど、それとは断定できない、曖昧な感情が見え隠れした。
「……私がわかっているんだから、志貴君だって、それをわかっているはずなのに」
 ああ、そうなのか。この顔は、そういう顔なのか。
 この人は、悲しいのに。辛いのに。ご主人様が苦しんでいる姿なんて見たくもないのに。それを見て、喜んでいる自分がいる。だから、こうとは言えない、複雑な顔をしているのか。
 そんな彼女を生み出して。ご主人様は、なにをしているのか。
「私が私として独立している以上、志貴君は私を受け入れてくれてない。きっと私は、それが一番……辛い」
 刹那、泣き顔が浮かび。ご主人様と同じように、泣き叫ばないのが不思議なぐらい、傷ついた顔をして。瞳に浮かんだ涙は、しかし零れることはなかった。
 その辛さは、私にもちょっとわかる。ご主人様が受け入れてくれたからこそ、いまの幸せがあるんだから。
 受け入れてもらえず……認めてすらもらえない。それはとても、辛いことだ。
「本当に大事なことは、志貴君が私を殺したことじゃないのにね?」
 そう……なのだろうか。……そう、なのかもしれない。
 先ほどの彼女の弁を借りるなら、彼女がそう思うということは、ご主人様がそう思っているということだから。ご主人様は、知っているんだ。悲しんだり、辛い思いを引きずることが大事じゃないことを。
 それじゃあ……私には、なにができるんだろう。
「私は……人間としての私は、ああいう結果にはなってしまったけれど、それはそれで、納得はできたの。だって、そうでしょう? 吸血鬼になった私は、人として越えてはならない一線を越えていたから。だから、そう……あれは、私の、人間としての尊厳とか、そういうものを守るために、必要なことだったんだ」
 だけど、ご主人様は、その答えを受け入れられてはいない。だから分離しているし、だからこの人は、悲しい。
 人間の尊厳なんてもののために、人間を殺す。ご主人様が受け入れられない事実というのは、それだろうか? それとも、それ以外にまだなにか、あるんだろうか。
 私の知らないご主人様は、一体何を思っているんだろうか。
「私が、あの時、志貴君と再会した時、すでに死んでいたなんて。そんなことを、受け入れてくれないのかもしれない」
 でも、それはなにか、違う気もする。ご主人様も腑に落ちていないだろうそれは、やっぱり、どこか変だ。
 もしそうだったなら、確かに苦しんでいてもおかしくはないけれど。それを受け入れていないのなら、この人とあの人に分かれているはずがないのだから。だからそれは、歴然とした、事実として受け入れていることだと思う。
 たとえ、彼女のその死の一因が自分にあるのだとしても。いやだからこそ、ご主人様はそれを受け入れるだろう。
 そういう、人だから。
 じゃあ、なにが? ご主人様は、なにが悲しいんだろう。
「もうすぐ、志貴君が目覚めるよ」
 その兆候は、すでに感じていた。だんだんと世界が薄れ、そして、足元から崩れていく感触。
 自分は夢を構築することはできるけど、夢を見ていることを持続させたりすることはできない。ただ、そこにある夢の形を見たり、変えたり、感じたりすることができるだけ。
 いまはなにもできない。私は、なにもわかっていないから。
 だけど、この人のおかげで、そして、この夢のおかげで、いくつかのことがわかったから。わかったことを考えて、また、ここに来るしかない。
 現実の世界の私は、ただの猫で。ご主人様に何一つしてあげられない、無力な存在で。
 だから私は、ここにきた。自分にできることをするために。
「話を聞いてくれて、ありがとう。志貴君もきっと……誰かに、話したかったんだと思う」
 彼女がそう言いながら手を振ったところで、世界は暗転した。

 夢は……夢だから。自分にとって、都合のいいものでしかないから。だから、それがなにかの意味を持つのだとしたら、それは、自分が前向きな解釈を実行できた時に過ぎない。
 叶わぬ、願いとか。届かぬ、思いとか。消化しきれない想いを、それでも誰かに伝えるために夢があるのだとしたら、それはつまり、自分に対して、伝えたいことがあるということだ。
 自分は、自分で、その答えがわかっていて。伝えたい想いすら、わかっていて。
 わかっていることが、逆に、割り切りを許してくれない。安易に許されようとしていることが、何よりも許され難く感じる。
 自分は、好きでもなんでもなかった。ただ、クラスメートだからとか、そんな安易な繋がりしかなかったのに、助けたいとか、そんなことを考えていた。そんな自分の至らなさが死にたくなるほど恥ずかしい。
 そもそもが、だ。
 自分になにができた?
 あの時の自分は、いまよりもなにも持っていなかったというのに。助けたいなどと思う以前に、自分が助けを必要としているような人間だったというのに。
 それなのに、助けたいだって?
 なんて、おこがましい。なんて、自分勝手な。
 二度と、過ちを繰り返さないために。と、言えば聞こえはいいが。彼女を、忘れないために。その儀式を必要としているだけなのだろう。実際のところは。
 好きだった人に、忘れられるとか。それはきっと、一番嫌なことだから。辛いことだから。悲しいことだから。苦しいことだから。
 彼女を殺した、彼女が好きだった自分は、彼女のことを忘れてはならない。他の誰でもない自分だけは、死ぬまで、彼女と付き合っていかなければならない。
 特別に好きでは、なかったけれど。好意は抱いていたし、好きになりかけていたとは思うから。それぐらいのことは、してあげたいのだ。
 それぐらいのことしか、もうできないから。

「今日は、迷わずこれたんだね」
 そして、今日はきちんと出迎えてくれた。前回の来訪で、ご主人様に変化があったということだろう。
 それがいい影響であると願うばかりだけれど。
 それでも、世界には死臭が満ちている。甘い血の香りが、甘美な命の匂いが敷き詰められている。
 まるで、そうすることでなにかを覆い隠すかのように。
「間に合ってよかった、って、私が言うのも、変なのかもしれないけど。でも、良かったな。もうすぐ、私も消えるみたいだから」
 確かに、前よりはこの人の気配は薄くなっている。それはつまり、消滅か……でなければ、同化だ。どちらであるかはわからないけれど、後者なのではないか、と思う。
 彼女を彼女として、一まとめにしようとしている。そう感じた。
「志貴君は、たぶん、強い人だけど。でもやっぱり、人間だから、そこまでは強くなかったみたいだね」
 そこまで、というのが、どこまでのことを指しているのかはわからない。わからないけれど、彼女にとって、それは満足のできる程度らしい。
 ご主人様がそれよりも強かったら、どうなのだろうか。
「でも、そう……私が消えるのは、やっぱりちょっと、寂しいかな?」
 そうあることが望んだ姿ではなかったとしても、そういう形として存在した以上、やはり、自分の消滅というのは恐ろしいものなのだろうか。
 それは、例えば爪を切るような行為でしかなかったとしても。切られる爪のほうは、切られて当然とは、やはり思いはしないのではないだろうか。
 爪を切らなければ自らを傷つけてしまうのだとしても。
「私が消えれば、志貴君はきっと、一つ階段を昇ることになると思うんだけど。どう……なのかな?」
 どこに向かって、なんの目的で、階段を昇るのか。昇らなければならないのか。
 この人は、やはり……ご主人様の、不安の象徴なのか。
 あるいは……罪の意識の、結晶か。
 存在自体が、罪だなんて。そんな……
 それでも、そうだったとしても、いや、だからこそ。私は、この人を消滅させなければならないんだろう。
 それはちょっと、寂しいことかもしれない……この人とは、なんとなく、話が合いそうな気がしていたから。
「私は、どうなってもいいんだ。だって、私はやっぱり、本当の私じゃなくて、志貴君が作り出した私でしかないんだから。だから、大事なのは、私じゃないんだ」
 主体を維持するために、客体を破棄していく? いや、客体ではない。それもやはり、主体だ。主体の部分だ。
 ただ、価値観を統合して、アイデンティティを保つ。矛盾をなくすという矛盾を実行するための、いわば儀式でしかないけれど。
 犠牲なくしては前に進めないということも、やっぱりあるんだと思う。
 何かを選択するということが、選ばなかったものを犠牲にすることなら。それは少し、残酷な形に見える。
 もし、私がいまのご主人様を選んだことが、前のご主人様を捨てたことになるのなら。それはやっぱり、悲しいことだと思う。
 でも、あるいは、だからこそ、それは、そういうことではないのだ。
「志貴君が、優しい人だなっていうことは、わかるんだ。だけど、優しい人がいい人ってことじゃ、ないんだよね」
 そう。だから、そのために、私はここにいる。ご主人様も、それを知っているからこそ、私の言葉も、きっと届くだろう。
 正しいこととか間違っているとか、そういうことに囚われたら、なにもできなくなるから。自分だって、いまのご主人様に仕えていることが、いいことなのか悪いことなのか考えたら、わからなくなってしまうから。
 わかることはただ一つ、それが、自分に必要なことだったということだけ。
 だからきっと、ご主人様にとって、この人を殺したことは、正しいことではなかったかもしれないけれど、必要なことだったのだ。
 事の意義なんてわかりはしないけれど。わからないから、自分には、それを信じることしかできない。
「あなたはきっと、私と同じ、だよね?」
 なにが、とは言わなくても、それはわかった。私がご主人様を好きなように、この人もご主人様のことが好きで、きっと、そのことを告白すらしたのだ。
 ご主人様は、そういうことには本当に鈍い人だから。正面切って好きといわれて、ようやくそうなんだと気づくような人だから。
 だからきっと、私達が浮かべた苦笑は、同じ気持ちから生まれたものだ。
 そして私は、指し示す。ご主人様に抱かれている、彼女のことを。
「え? 私に、どうしろっていうの?」
 あなたが彼女で、彼女があなたなら、彼女を変えられるのはあなただけで、あなたを変えられるのは、彼女だけだろうから。
 悲しんでいるご主人様を見詰めることが、この人のやりたいことのはずがなくて。何度でも何度でもご主人様に殺されるのが、あの人のやりたいことのはずがないから。
 本当なら、彼女はご主人様の中の残像にすぎないから、彼女の意志を持って行動することなんてできないけれど。だから、そのために、私がいる。
 私は、今度は、この人のことを指差した。いや、指を突きつけた。そしてもう一度、あの人に指を突きつけて、そして、ご主人様を、指差した。
「私に……声をかけろっていうの?」
 小さく、うなずく。この人が言いたいことは、ご主人様が言いたいことだから。だから、この人が溜め込んでいることを、言わせてしまえば、澱は、吐き出される。
 戸惑いや後悔は、溜め込まれた鬱憤にすぎないから。解放を求める心は、どうしたって、解答を見つけ出す。
 ただ、それを受け入れるには、きっかけが必要で。それを自分に納得させる、なにかが必要になる。それは、自分にも与えることができるものだ。
 そのための、夢で。そのための、私なんだから。
 それでもこういうことは、自分で解決して、乗り切らないといけないはずだから。
 この場に、ご主人様とこの人しかいないように。本来なら、私すら、必要はないんだろうけれど。
 少しでも良い解決のために力を使えるのなら、私は、そうするべきだ。
 そして、彼女は微笑んだ。私も微笑みを返して、その背中を見送った。
 私は、使い魔で。私は、夢魔だから。
 夢の中でなら、なんだってできるんだ。

 そして私は、夢のような幸せを手に入れる。



 使い魔となって、それからなにをしてきたのか、思い出すことができない。
 魂の器としての、猫という肉があって。
 器となった肉の影響を引きずるように、猫のような習性を持っている自分がいる。
 使い魔として、それは必要なものではないはずなのに。
 それでも私は、猫のように生きている。
 私は、だから、猫であり、使い魔である。その二つによって、基礎的なパーソナリティーを形成している。
 では、私が猫ではなかったり。
 あるいは、私が使い魔ではなかったり。
 そんな自分を、想像してみることもある。
 だけど、答えはなくて。なんにでもなれる自分というのを想像してみると、なんだか自由すぎて、気持ちが悪かった。
 私は、だから、私であることを強制するモノ達を必要としていて。
 それはきっと、愛しているとか、そういうことに似ていて。
 私が、私であるために、そういったモノを与えてくれる人を、欲している。
 私を生み出したご主人様は、もういないけど。
 私を拾ってくれた人や、新しいご主人様になってくれた人がいて。
 私を、受け入れてくれる。
 なにが幸せなのかといえば、たぶんきっと、そういう他愛もないことなんだと思う。
 私を私として、認めてくれる。
 私のすべてを受け入れてくれる人なんて、いないと思っていた。
 私は猫で。私は使い魔で。人は、受け入れてはくれないだろうし。魔術師は、いまさら、私なんかを必要とする理由はないから。
 だからこれは、きっと、稀有な幸せだ。それを当然のように与えてくれるご主人様に出会えた、それはきっと、稀有な幸せだ。

 今日もまた、陽だまりの中、ご主人様の膝で眠る。
 永遠なんて知らない。ただ、この幸せがあればいい。