STAND ALONE COMPLEX



 ここにいるからには死ぬ覚悟は決まってるんだろうな? もし決まってないならいますぐ死んでしまえ。

 一人の天才がいた。

 気の迷いというやつだ。私は別に、やりたくてこんな事をやっているわけではない。ただ一度だけ少しだけ、世間というやつを見返してやりたかっただけである。お前達の言う天才というものがなんであるのか、どういうものであるのか。
 人間が人間である限り真の天才など存在しないのだと。真の天才とは人間すらも超越し、故に天才ではなく、まったく別モノの高次の存在でしかない事を教えてやりたかった。
 人が人でなければ天才とは呼べず、呼ばれない。だから天才なんて人間は存在しない。
 そして私は天才だ。
 だから造る。私にできる事はそれだけだ。作る事も創る事もできない。ただ造るだけ。物質を、物体を、組み立て、合成する。ただそれだけだ。
 そんな事をしてしまったからだろうか。その願いを聞いてしまったのは。
「お前に造ってもらいたいものがあるんだ」
 世間的に見て、その日はひどく天気が悪かった。朝から晩まで雨が降り続き、雷が鳴り続けている。天候の善し悪しなどなにを基準に決めればいいのか私にもさっぱりわからなかったが、雨が降ると外を出歩くのが面倒になる。だから好きだった。元より外には出ない。
「不躾だな。それに、珍しい事を言う」
 その男はすでにそれなりに長い付き合いのある男だった。男が小学生の時からの付き合いだから……そろそろ二十年近くになるのか。年を経たのは男だけで、私だけは出会った頃とまるで変わらない姿でティーカップを摘み上げ、メイドの煎れた紅茶をすすっていた。
「お前にしか頼めないんだ。お前にしか造れないんだから」
 私に造れないものなどなにもない。だから何かを造ってくれと頼みに来る輩は存外に多い。どこからどんな噂を聞き付けてくるのか知らないが、月に一度は来訪を受ける。もっとも、余程気が向かない限りそんな願いを聞き入れたこともないが。
 男は一度もそんな事を言い出したことはなかった。出会ったその時からずっといままで、普通の友人関係というものを保ち続けてきたのである。だからこそ長続きしたのだろう。利用し利用されるだけの関係ならとっくのとうに飽きて打ち切っていた。
 私にさえ、男がなぜ私の屋敷に訪れるのか、友人を続けているのか、さっぱり理解できなかった。だから興味もあった。なにも望まずに、しかし私と友人を続ける事のメリットなどあるものだろうか。
 そんな男が、初めて頼み事をしてきた。そんな事態を楽しんでいた。
「確かに私はなんでも造れるだろう。物質的なものであれば、なんでも。家だろうが車だろうが完全自律の自動人形だろうが。どんな言うことだって聞くペットだって造れるし……」
「人間だって造れる」
「そうだ」
 生物を造る事などそれほど難しい事ではない。要は有機物で構成されたロボットのようなものだ。各部が複雑に作用しあい一部に致命的な欠損が出ただけで全体の機能が停止してしまう事もある不完全な物体である。
 そんな不完全なものになど興味はない。だから普通なら造らない。
「俺は人間を造ってほしくてここにきた」
 なるほど。だから私のところにきたわけか。どんな優秀な人間にだってそれを造り出す事はできないだろう。だが私にはできる。人間ではなく天才なのだから。
「さしずめ、奥方でも殺したかな?」
 私は別に心が読めるわけではない。だが男は身をきしませるように身じろぎし、俯いた。どうやら図星であったらしい。わかりきっていた事だが。
 この男が慌てる事なんて、数年前に結婚した妻に関する事でしかない。それ以外の事なら常にひょうひょうと対処できるくせに、奥方が関わると途端に動揺し幼稚になる。
 未完成な生物。まさしく人間そのものだ。
「俺が殺したわけじゃない!」
 裏返る程の大声と共に顔を上げた。悲しみと怒りと後悔に歪んでいた。
「だけど……だけどあれは、俺が殺したのと同じだ……」
 再び俯く。どんな激情からか、その肩は震えていた。
「目の前で飛び降りでもされたのか?」
 答えはない。なくたってわかる。そんな決断をする愚かな可能性を考慮に入れたとしても、それは十分に起こりうる事態なのだから。
 男は融通のきかない性格だった。責任ある仕事を任されてそれにかまけすぎた。奥方がどれほどできた人間で清楚な女性だったとしても、人間なのだ。寂しさには何者も勝てない。
 愛でさえ。
「あいつが浮気をしている事は知っていたんだ……だけど俺は、それでも別れる気なんてなかったし、浮気なら、一時の気の迷いなら別にいいと、そう思っていたんだ……」
 後悔などいくらでもできる。過去の自分の至らない愚かさを次から次へとつつき出して槍玉に上げて自分勝手な感傷に浸っていればそれでいい。
 仕事が大事だったのは男の責任。妻を大事にできなかったのは男の責任。だから妻を死なせてしまったのは自分の責任。そんなところだろう。
「それで? 別れの言葉はなんだったんだ?」
 目に浮かぶようだ。マンションの上階の部屋。ベランダへの窓は開け放たれ、カーテンが風になびいている。奥方は植物に水をやるように自然にベランダに出て、最後に一度だけ、男を振り返った。
 そして?
「どうして私を責めないの? って……そう言ったんだ……」
 微笑みながら飛び降りた。地面には真赤な花が咲き、男は慌ててここにきた。そんなところだろう。
 そして私にその奥方を造れというのか? 一度失ったものをもう一度造れと、犯してしまった失敗をなかった事にしたいというのか?
 それはそれでいい。おもしろい。だがわかっていない。そういう事だ。
「あれは俺の過ちだった。間違いだったんだ。だから、だからあいつを造ってくれ。もう一度あいつを、この俺の元に」
 狂気のような光。凶々しく光り悲しみに歪み、怒りに燃え立ち涙すらも流さずに。
 ただ自分のためだけの願い。それなのにこの男には自覚がない。なぜ妻が死んだのかを考える事もなく、死んでしまったからにはどうすればいいのか。そればかり考えている。
 だからこそおもしろい、だからこそこの男と付き合っていた。
「私が頼みを聞くのは、余程気が向いても一人につき一つと決めている。それがたとえ君だろうとも。この先他にどれほど欲しいものができたとしても、私はそれしか造らないだろう。それでもいいのか?」
 頼みを聞くのは一つ、たった一つだけ。誰であれなんであれ、平等な不平等の名の元に、たった一つだけ。
 それでも造ってほしいというなら造ってやろう。それは簡単な事で、そしてどんな事態を引き起こすかまで理解できていたが。
 望むのは私ではない。この男だ。
「それでもいい」
 瞬きすらせずにうなずいた。溜め息を吐きながらうなずき立ち上がった私は、さて、ではこれからまた、あの暇で退屈な時間が訪れるのだなと思いながら、メイドに男のための部屋を用意するように指示して工作室に向かった。工作室。なんて幼稚な。
 だけどやっいる事は幼児の粘土遊びとそう変わる事でもない。ただの人形遊びに近いだろう。そして男の妻を造る事など、それと同じぐらい簡単にできてしまう事なのだ。

 食器の触れ合う音が細かに響く。だがそれ以外の雑音は何一つ存在しないような、そんな朝食の席。
 普段の生活はメイドとの二人暮らしだが、食堂だけは何十人の客を招待しても大丈夫なほど広かった。それでも招待した事のある客の最高人数と言えば……そう、三人といったところか。
 あまり多数の客を招かないのは、多数の人間との面談は好きではないからだ。誰の相手をすればいいのかわからなくなる。できないという意味ではない。ただそれをやってしまうと相手も戸惑ってしまい、結局途中で怒るか呆れてしまうのだ。自分勝手に。
 だから極力人とは会わないようにしている。どうしても会わなければならないときは、普通一対一で話す。
 いまはメイドもいない。だから二人きりでの朝食だった。
 一際高く、食器を打ち付ける音が響いた。
「いつになったらできるんだ?」
 苛立ちを抑え、大声を張り上げるのを堪えた声だった。あまりにも激しい感情は私の気分を憂鬱にさせる。静寂をこそ愛し孤独をこそ好むので、煩雑な他人ほどわずらわしい存在はないのだ。
 私と一緒にいる者は、なぜか私の注目を集めようとする。なぜか私の気を引こうとする。なぜか私と対等にはなれないと思い込み、卑屈な態度をとる。そんな必要などどこにもないというのに。私は相手がいたなら確実にきちんとその相手をするのだから。
 なぜわざわざ必要もないことを確認しようとするのか。相手がそこにいる事ぐらいいつだってわかっているのに。たとえ返答しなかったとしても、それは返答する必要がないだけであって、返答したくなかったわけでも気分を害したわけでもない。
 そもそも他人と話していて気分を害した事などほとんどない。私は自分が天才である事は知っているから、相手がどれだけ無知な発言をしようとも、それは当然でしかないからだ。
 いちいち相手をしなければならないようなわずらわしさが大好きだった。おそらくきっと、私ほど普通の人間に憧れている天才はいないだろうから。
「なにがだ?」
 ベーコンエッグをナイフを使って切りわける。焼き具合は申し分ない。やはり我が家のメイドは優秀だ。
「昨日頼んだものが、だ」
 私の気紛れを理解してだろう、それでも怒りを抑えながら男はつぶやいた。つぶやきになるほど小声でなければ怒りが噴出してしまいそうだ。
「人を一人だぞ?そう簡単にはいかない」
 時間がかかるのは、しかしだからではない。ただ必要だからかけるのだ。
「お前なら簡単だろうが?」
 それはその通りだ。否定する必要もないのでうなずく。
「だったら……」
「だが」
 強く続けられかけた言葉を封じて言葉を紡いだ。すらすらと、まるで嘘のように。
「記憶というものは難しいものだ。再現するには、一週間かけてお前から奥方に関する記憶を抽出する必要がある。もちろん、仕事には普通に行ってかまわない。寝ている間にすむことだ」
 記憶の再生か。本当に難しいか? 記憶など所詮はあやふやで未定義な情報郡にすぎない。誰もそれに実がある事は証明できない。ただの虚の集合だろうと言ってしまえば誰にも否定できない。
 だから簡単なのだ。どんなものだろうとも、とりあえずの形さえ与えてしまえば記憶となりうるのだから。
 だから、時間をかけるのは、やはりそのせいではない。
「仕事だって? こんな状況で行けるとでも?」
 奥方が自殺してすぐにここに来たという事は、今頃容疑者の最有力候補に上がっているという事ぐらい誰にだって想像がつくだろう。たとえ殺していなかったとしても、状況証拠がそれを許さない。
「そちらにも手を回しておいた。奥方の死体は発見されていない事になっている。故に君は殺人犯でも容疑者でもない」
 それぐらいの事は造作もない。警察の記録の改竄どころか関係者の記憶の刷り替えさえも容易だ。それに、金をばらまけば口をつぐむ者はかなり多い。すべてとは言わないが、自分の身に危険が迫らない事が確実ならばなおの事だ。
 そこまでして助けてやるとは。これも実験の一環なのだろうか。
「……なぜだ?」
 それは疑いの眼差しだった。瞳の最奥から私の心を盗み見ようとするような、そんな眼差しだった。
「なにがだ?」
 私は男の事など気にせずに食事を続ける。あまり旨くなかった。
「なぜそこまでしてくれるんだ?」
 男にしてみれば都合のいい状況だが、裏を返せば都合が良すぎる状況だった。だからこそ疑いも出てくる。現状に満足していればそれだけで幸せになれるというのに。
 もっともそんな男なら最初から相手などしていないが。
「私にもいろいろと都合があるんだよ。君の頼みを聞くのもその一環という事さ」
「実験材料って事か?」
 昨日からこればかりだ。怒り、憎しみ、そして、焦り。そんな感情ばかりをぶつけてくる。平素の男の物静かさなどどこにもない。
 いまさらなにに焦っているというのか。なにが欲しいのかもわかっていないくせに。
「そう取りたければ好きにしたまえ。残念ながら否定はできない」
 肯定できるかどうかも微妙な所だったが。私が実験だと思えば実験なのだが、なぜか実験だとは断定できない曖昧さが残っていた。
 そんなのも嫌いじゃない。
「別に、なんでもいいけどな」
 自分に不都合がないならば。そう言いたげに顔を逸らして、席を立った。
「まだ残っているが?」
 せっかくメイドが作ってくれたのだ。残してはもったいないではないか。
「食欲がないんだ。会社も休む」
「そうか」
 たまには休息も必要だろう。そんな無難な返事をして、指先で弄ぶようにフォークを動かす。あまりにも気乗りしない食事。なんとも珍しい事だ。年に一度しかない。
「なるべく急いでくれよ」
 それが終わらない限り落ち着いて会社にも行けない。そんな雰囲気で食堂を出ていった。奥方を死なせておいていまさらそれもないだろうに。
 なんという傲慢。なんという人間性。
 私はそれに振り回されているのだろうか? それだけは断じて否だ。
 結局はあの男が私に振り回されているにすぎない。主客が転じる事はない。私は天才で、あの男は人間なのだから。
 鈴を鳴らしてメイドを呼んだ。どうやら私も食欲がないようだ。

 工作室の水槽の中で彼女が漂っている。
「お前は誰に望まれて生まれてくるんだろうな」
 珍しく独言など零しながら私は彼女を見上げた。あの男の奥方。奇麗とか美しいとか、そんな単純な美辞麗句だけでも十分に表現できる。それ以上でそれ以外の表現は、欠点という個性の評価にすぎない。
 欠点のない美人。故に無個性。彼女はそんな女性だった。
「あの男は決してお前を望みはしないだろう。お前の中にある別のお前の姿を見る事しかできないに違いない」
 どれが彼女であるのか、なにが彼女であるのか。死んでしまった妻が彼女であるのか、新たに生み出される妻が彼女であるのか。
 あの男にはそんな確固としたものがない。愛していたのかどうかですらあやふやだろう。どうやって彼女と出会い、どうやって彼女と結ばれたのか、なにも覚えていないはずだ。
 それでも結婚していたという事実はある。そして男は愛していた気になっている。
 なにもかもがまやかしでなにも存在しない。ただの記憶だ。
「そして私でさえ。お前を望んではいないんだ」
 水槽に近付いた。額を当てる。ひんやりとした感触が心地良く広がった。
「じゃあお前はなんのために生まれるんだろうな?」
 水槽から身を離して顔を上げた。水槽の中の彼女と目が合った。
 目が合ったのだ。
「ふん……生きているというのは難儀だな」
 最初から生きている。この水槽は記憶の除去と書き込みのための装置だ。当然ながら、水槽の中の彼女には意識も自我だってある。その上に必要な情報を無理矢理に上書きして以前の自分など忘れさせてしまう。
 それがある時よみがえったとしたら? それもまた実験の一環だ。
「お前は誰に望まれる事もなくこの世に生まれ、そして誰に望まれる事もなく死んでいくだろう。生きていたのかもわからずに」
 彼女が生きているとすれば。複製にオリジナルの人生というものが存在するなら。ではオリジナルの人生とはなんなのだろうか。死ぬ前の彼女といまここにいる彼女は違う。違うはずなのに同じだ。少なくともあの男は同じにしようとしている。
 そして同じになったとして。どちらがどちらを侵蝕するのだろうか。
「私はお前を生み出して……また同じことを繰り返すだけなのか……?」
 答えるはずがない。答えられるはずがない。私の言葉が彼女に届く事はない。たった一枚のガラスも特殊な培養液もなんの意味もない。だが言葉は届かないのだ。決して、絶対に。
 だからどんな言葉にも意味はない。
「……柄でもないか」
 無駄な独言は自分のキャラクターにそぐわないだろう。有意義であればどんな行為でさえ自分らしさだ。だが無駄だけは。それだけは自分にもっとも適していない。
 私はあくまでも天才なのだから。
 だから彼女を作ることだってできるのだ。
 でも……

 どこで引き渡すのがもっとも効果的であるのか。そんな事を考える。工作室を他人に覗かせるのは趣味ではない。となれば応接室か、それとも食堂か、でもなければ玄関か。
 玄関。それが一番手っ取り早いか。
「ああ……」
 つぶやき、溜め息。男は感極まった表情でゆっくりと彼女に近付き、そしてしっかりと抱き締めた。他の何者も目に入らぬ様子で、私もメイドも無視して。
「もう二度と……あんな過ちは繰り返さないから……」
 それは無理だ。無理なんだよ、君には。
 だがそんな忠告になど意味はない。結末がわかっていたとしても意味はない。男は必ず同じ過ちを繰り返す。だから言わない。
 無駄な事はしないのだ。
「これで満足か?」
 同情、憐れみ。そのようなものを禁じえない。だがそんなものは表わさない。内心など表われるはずがない。
 それが残念だ。
「ああ……これでいい」
「……そうか」
 なにも言う必要などないのだ。そう、それは五年も前に決められていた約束なのだから。
 誰であれたった一つ。だが一つの願いであれば一度とは限らない。
「だが、自我の定着にはまだ少し、時間がかかるだろう。そう……一年だ。一年経てば、前と同じように暮らす事ができる」
「同じじゃない。前とは違う」
 違わない。違う事などなにもない。一年前も君はそう言ったんだから。
 タイムリミットは一年。もう五回も繰り返してきた。その度に私は彼女を作り、そして一年後の自分の運命を予期して溜め息を吐く。
 悲しさも虚しさもない。ただこの実験がいつ終わるのか。それを待ち望んでいる。
 つらいだなんて。そんな感情。
「さあ、とっとと行くがいい。君の用事はそれでしまいのはずだ」
 そして私の用もまた、今日のところはこれで終わりだ。一年後の来訪がどういう形になるのか。ただそれだけを予感しながら、今日も眠る。すべてがわかっていながら、すべてが推測の域を出ない事を知悉しながら。
 だからこそ天才などろくなものではない。
 男は妻の肩に手を回し、まだ意識の固定されていない人形のような反応を危ぶみながら、慎重に手を貸し歩みを助ける。出口へと向かうその後ろ姿に背を向け、メイドと共に私室に戻ろうと歩き出した。
「また、来る」
 出ていく直前に肩越しに振り返った。だが私は振り返らずに後ろ手に手を振るだけに留めて歩み去った。
 扉の閉まる音。そして、静寂。一年後のこの時まで続く静寂。
 それもまた、嫌いじゃない。

 やはりその日は天気が悪かった。
「お前に造ってもらいたいものがあるんだ」
 雨が降っている、雷が鳴っている。なにもかもが再現され、一度しか撮影されていないフィルムを繰り返し眺めるような情景に目を細めながら、それでも私は毎度毎度同じフレーズを口にする。
「不躾だな。それに、珍しい事を言う」
 メイドに来客を告げられ応接室に入り、ソファーに腰を下ろしてすでに用意されていた紅茶に口をつける。我が家のメイドは優秀だ。すべてが準備万端、抜かりない。
「お前にしか頼めないんだ。お前にしか造れないんだから」
 そして私と唯一無二の親友であるような顔をして君はその言葉を繰り返す。私の心など知らずに、私の心を傷付けながら。
 だけどそれは君の責任じゃない。私の身勝手だ。
「確かに私はなんでも造れるだろう。物質的なものであれば、なんでも。家だろうが車だろうが完全自律の自動人形だろうが。どんな言うことだって聞くペットだって造れるし……」
「人間だって造れる」
「そうだ」
 些細なやりとりすらも一緒。初めて交した十年前から、変わることなく繰り返される言葉の羅列。
 最初の頼みを聞いたのはそれよりも一年前。あの時の男との約束で自分はここにいる。この先あと何年も続かないだろうが、続いたところで変化のない時を生きながら。
「俺は人間を造ってほしくてここにきた」
 男にしてみれば、一年前のやりとりなど記憶にすら残っていない。それなのに言葉はまったく同じ。毎回毎回、同じような記憶処理を繰り返し、時間が経てば奥方が死んでしまった事すらも忘れ去るように処置しているのだから当然だ。
 これからかかる一週間の意味とは、つまりそういう事だ。
「さしずめ、奥方でも殺したかな?」
 毎年毎年。この男は同じ過ちを繰り返さなければ気が済まないのだろうか。確率論で言うなら一度ぐらいはまともな夫婦生活を送れるはずなのに、それでも私の予測が外れる事はなく、男が同じ失敗を繰り返さない事もない。
 いくら私がすべてをプログラムしたとはいえ。男の行動までは制御の外であるというのに。
「俺が殺したわけじゃない!」
 そう、その通り。奥方を殺したのは、死ぬように仕向けたのは私だ。
「だけど……だけどあれは、俺が殺したのと同じだ……」
 そう。奥方にもプログラムにも、私自身にさえ、責任などない。男の行動という状況が変化すれば奥方の自殺は発生しなくなるのだ。
 それも一つのプログラム。スイッチが入っただけの事。
「目の前で飛び降りでもされたのか?」
 しただろう。男は結局、彼女の寂しさを埋める事などできなかったのだから。それさえできていればなんの問題も起こらなかったというのに。
「あいつが浮気をしている事は知っていたんだ……だけど俺は、それでも別れる気なんてなかったし、浮気なら、一時の気の迷いなら別にいいと、そう思っていたんだ……」
 一時の気の迷いですらなかった。だから死を選んだんだよ。お前を心底愛していたからこそ、彼女は死を選んだのだ。お前の目に、お前の脳に、自らの姿を焼き付けるためだけに、彼女は死を選んだのだ。
 それが無駄と知りつつも。
「それで? 別れの言葉はなんだったんだ?」
「どうして私を責めないの? って……そう言ったんだ……」
 浮気ですら、男の気を引くためのものでしかなかった。好きでもない男に身を投げ出してまで、彼女は男の歓心を引き戻す事だけを望んでいた。
 なにもかもがリアルにわかる。まるで手に取るように。
「あれは俺の過ちだった。間違いだったんだ。だから、だからあいつを造ってくれ。もう一度あいつを、この俺の元に」
 またあの憂鬱な作業を繰り返す。一年前から覚悟していた事だ。一年ものあいだ、そのためだけに生きていたと言っても過言ではない。自分は彼女を造るためだけに、その材料のためにここにいる。
「私が頼みを聞くのは、余程気が向いても一人につき一つと決めている。それがたとえ君だろうとも。この先他にどれほど欲しいものができたとしても、私はそれしか造らないだろう。それでもいいのか?」
 これが輪廻のキーワードだ。最初から他人の頼みなど聞かずにいれば、人を造る事などせずにいれば、こんな簡単な堂々巡りにはまりこむ事などなかったはずなのに。
 すべてわかっていながらはまりこんだのは私だ。
 だからこれはその代償なのだ。一年ごとに訪れる憂鬱な作業は。
「それでもいい」
 そして君はそう言うだろう。私がどれほどの覚悟と諦めを決めてうなずいているのかも知らずに、それが簡単な事だと信じながら。
 簡単には違いない。男からなにも聞かなくたってそれが造れてしまうほどに簡単な事だ。
 だからこそつらく憂鬱なのである。
 メイドに男の部屋を用意するように指示して工作室に向かう。毎年毎年、今年で結果が出なければ終わりにしてしまおうと思っているのに、私はこうやって工作室に向かってしまうのだ。
 この男のために? 平たく言ってしまえばそうだろう。だがやはり、なによりも自分のための実験だ。
 天才に普通の人間のような幸せは得られるのか?
 一度も成功した事はない実験だ。

 私が私を造り出すようになったのは十年前の事だ。一番最初に造った人間は自分の母親だった。正確には、母親と呼ばれる近親者だ。血の繋がりなど、天才となってしまった今となってはなんの意味も持たない。
 父親だけが私にとって親と呼べる存在である。顔も名前も知らない男がなんの気紛れでか、それともまたそれも実験の一環だったのか、私のような半人間を次々と造り出した。わざわざ人間の腹を借りてまで。
 そして世界各地の私の兄弟達は私とはまったく異なるパーソナルを持ちながらも同一のカテゴリーに括られるしかない能力を保持しそれぞれの活動を行なっている。私の担当がここだという事だ。
 母が死んだのは私の責任だ。感情というものがうまく理解できていなかった昔の私は、近親者の死というもっとも手っ取り早い衝撃を体感するためだけに母を殺した。
 私が泣き叫んだのはあの時だけである。あの時たった一度だけである。私は自らの行いを後悔し、そして母を再生した。
 それから母はメイドとしていつも私の傍に居る。私のように年を取ることもなくなり、再生した時に設定した年齢のまま、なんの感情も私情もない忠実さで私に従っている。私がどんな実験を試みようとも。
 感情をなくしてしまう。それはどれほど正確に肉体や記憶を再現しようとも表われる副作用だった。その時初めて魂の存在を、オリジナルの人生というものを考えるようになった。
 そしてあの男に出会った。出会ったのは十数年前、輪廻が決定されたのが十年前。
 あの時あの男は、家族全員を事故によって亡くし完全な孤独に取り込まれた。それは人が抵抗するにはあまりにも強大な力を持っていて、あの男は呆然自失の状態から何週間にも渡って復帰できなかった。
 その間の面倒を見たのは私だ。あの男には頼れる身寄りというものがなく、従って私ぐらいしかなんの見返りもなくあの男の世話をするような物好きがいなかった。
 そしてある時、あの男はこう願ったのだ。一人にしないで、と。
 私はその願いを叶えるために人間を造った。だがどんな人間を造ったところで感情がなかったのでは男の望みを叶える事ができないのは明白だった。どうすれば感情のある人間を造り出せるのか、そればかりを思案して過ごした。
 ある時、天啓のような答えを得た。人間で成功しないのなら私のような人間ではない存在を使えばいいのではないだろうかと。
 この実験は成功だった。そして私は私を生み出す事に成功した。
 しかし生み出された私の自我は希薄だった。記憶という情報だけを与えられてもそれを処理しきれず、自我が定着しないのだ。それを解決できるのは時間だけだという結論が出た時、私はオリジナルの私に普通の人間としての記憶を上書きする事を考えた。
 実験は成功した。いままで一度も失敗した事などなかった。失敗すべくして失敗した事はあっても、成功すべくして失敗した事はない。それは失敗とは呼ばない。失敗の確認なだけだ。
 そしてオリジナルの私は、働き始めたあの男が次第に仕事に奪われていくのに耐え兼ねて、自ら命を絶った。
 愛していたのかもしれない。愛しているのかもしれない。あの男を愛しているからこそこんな事を続け、そして私は死に続けるのかもしれない。
 しかし自我が定着し自らの役割すらも思い出してしまった私にはなにもかもわかってしまうのだ。自分のような天才は、人間以外の存在はあの男には相応しくないという事が。あの男と似合うのはあくまでも普通の人間で、普通の愛情を注げる人間なのだという事が。
 様々な要因、様々な作用。
 そして私は死を選ぶ。選び続ける。一年ごとに自らを生み出し、一年ごとに自らを殺し、一年ごとに水槽に浮かぶ。
 私はそれを後悔などしない。自分の中にあるこの感情が愛という形を持っているのか、それを確信できるまで実験を続けるだろう。たとえ一年という時ではそれが確認できない事を知っていたとしても。
 最近のあの男は年を取らなくなってきた。私という人間以外の存在と触れ合いすぎたからかもしれない。元よりあの男の中にそのような因子が紛れ込んでいたのかもしれない。もしあの男がこちら側の世界にきたのだとしても、この実験が続く限り、あの男は自らを人間だと思い込むだろう。
 そしてそれは現実なのだ。記憶などなんの意味も持たないのだから。
 これから私は永遠に生まれ続け永遠に死に続けるだろう。あの男の出現が私の運命を狂わせたのだとしても、それはそれでいい。あの男に振り回されてそれを続けるのだとしてもそれはそれでいい。
 私はそれが嫌いじゃない。
 今年もまた私は人間になろうと報われない努力を重ねる。あの男のための努力を、私自身のための努力を、成功するはずのない実験を。
 私は天才だ。なんだってできる。
 だからこそこのどうしようもない状況を愛していた。